福井県史 年表                                        


507- 701- 751- 801- 851- 901- 951- 1001- 1051- 1101- 1151- 1201- 1251- 1301- 1351-
1401- 1421- 1441- 1461- 1481- 1501- 1521- 1541- 1561- 1581- 1601- 1621- 1641- 1661- 1681-
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1921-
1931- 1941- 1946- 1951- 1956- 1961- 1966- 1971- 1976- 1981- 1986- 1991-  【凡例】


西暦 和暦 事項
1001 長保3 1 15 藤原行成が若狭国源兼澄らに不与状のことで弁申するべき由を伝える〔権記〕.
1001 長保3 10 7 一条天皇が藤原行成に前越前守藤原為時らが進上した屏風和歌を見せる〔権記〕.
1002 長保4 2 17 藤原行成が左大臣藤原道長の宿所に行き,若狭国からの一切経本文を奉る〔権記〕.
1002 長保4 2 27 皇太子の御所の内政を担当する春宮坊が正六位上清原正忠を若狭掾に任じるよう要望〔大間成文抄〕.
1002 長保4 4 10 若狭守藤原至道が上申してきた3か条につき,給復・荘園制限のことは許可.官に納めるべき諸司のものを分割納入することは不許可と定める〔権記〕.
1003 長保5


1004 寛弘1 1 25 越前守源教忠,左大臣藤原道長に馬を贈る〔御堂関白記〕.
1004 寛弘1 6 3 越前守源教忠,死去〔尊卑分脈〕.
1004 寛弘1 6 17 源致書を越前守に任じる〔御歴代抄〕.
1004 寛弘1 7 17 陣定で越前守源致豊(書ヵ)らが申請してきた雑事を議定〔権記〕.
1004 寛弘1 11 7 大蔵是光を越前権大掾に任じる〔河海抄〕.
1005 寛弘2 12 29 紫式部,中宮彰子に出仕(一説に翌年).
1006 寛弘3


1007 寛弘4 1 24 花山法王の当年の御給として,従七位上大神長光の越前国目就任を望む.この後,越前大目となる〔大間成文抄〕.
1007 寛弘4 4 28 藤原道長の日記に越前守源孝道とみえる〔御堂関白記〕.
1007 寛弘4

この年女御義子の当年給として,越前権少目に従七位下興道伝済を任じる〔大間成文抄〕.
1008 寛弘5 2 17 前若狭守藤原元仲,右大臣家にて急死〔日本紀略〕.
1009 寛弘6 1
参議従三位藤原正光を越前権守に任じる〔公卿補任〕.
1010 寛弘7 3 8 若狭守源道成赴任につき左大臣藤原道長が馬1疋を給する〔御堂関白記〕.
1010 寛弘7 3 30 この日以前に越前守源孝道,死去.木工頭大江雅致を越前守に任じる〔御堂関白記〕.
1011 寛弘8 10 7 敦康親王が越前権大掾大江公資をその蔵人の名簿に加える〔権記〕.
1012 長和1


1013 長和2 1 29 この日以前に若狭守源道成が宇佐使となったが,弟の喪により交替〔小右記〕.
1013 長和2 4 27 陣定を行い,越前など3か国の交替使などのことにつき定める〔御堂関白記〕.
1013 長和2 10 15 丹波国大山荘司解に別当として若狭目山田久光の名がある〔平472〕.
1014 長和3 5 1 藤原道長第への三条天皇の訪問につき,病気の右馬頭のかわりを右馬権頭若狭守源道成が務めることの可否を論じる〔小右記〕.
1014 長和3 12 25 右近衛将監藤原頼行の近江での暴行により,前若狭守源道成が左近衛権中将藤原能信の雑人らを率いてこれを召致しようとして合戦となり,頼行は雑人を射殺〔小右記〕.
1015 長和4


1016 長和5 5 28 勧学院知院司生江為良,済恩寺の任牒を藤原実資のもとに持参〔小右記〕.
1016 長和5 6 28 敦賀の群盗数十人が入京中との風聞がある〔小右記〕.
1016 長和5 7 29 7月21日に藤原道長の上東門第など罹災,この夜越前守藤原安隆火事見舞に参上〔御堂関白記〕.
1017 寛仁1 2 24 左京高倉辺にて火災,前越前守藤原令尹の宅焼亡〔御堂関白記〕.
1017 寛仁1 3 16 藤原道長,摂政を子の藤原頼通に譲る.
1017 寛仁1 8 3 越前・摂津・近江など蝗害のため,蝗虫御祈諸社奉幣使を決める〔小右記〕.
1017 寛仁1 9 20 一代一度の奉幣使を決める.北陸道使には大中臣頼宣〔左経記〕.
1017 寛仁1 10 2 大神宝使派遣.北陸道は若狭彦・気比・気多・白山の4社に紫綾蓋・平文野釼・赤漆御弓・箭などを奉じる〔左経記〕.
1017 寛仁1 10 9 越前守藤原安隆,牛5頭を藤原道長に献上〔御堂関白記〕.
1017 寛仁1 10 20 天皇の賀茂社参詣用に用いる年料米を越前国が進上しないので,越前国に重ねて宣旨を下す措置をとる〔小右記〕.
1017 寛仁1 12 4 藤原道長を太政大臣に任じる.
1018 寛仁2 3 7 同月16日に行う季御読経の料物を越前が未進しているので,督促する措置を大納言藤原実資が命じる〔小右記〕.
1019 寛仁3 3 28 朝鮮半島北方の刀伊国の賊船50余艘,対馬を襲う(刀伊の入寇).
1019 寛仁3 4 18 刀伊の対馬・壱岐などへの来襲につき,北陸・山陰・山陽・南海道の要害の地を警固させる〔小右記〕.
1019 寛仁3 6 29 若狭などの申請した雑事を陣定で定める〔小右記〕.
1019 寛仁3 9 2 宮城の大垣修造担当の国を定めるについて,冬が近い北陸道諸国は除く〔小右記〕.
1019 寛仁3 12 22 藤原頼通を関白に任じる.
1020 寛仁4


1021 治安1 1 23 正六位上大宅守光を若狭掾に任じることを大納言藤原行成が望む〔朝野群載〕.
1021 治安1 6 27 藤原遠理を若狭守に任じる〔左経記〕.
1021 治安1 7 25 藤原実資の右大臣就任の大饗で若狭守遠理ら楽を奏する〔小右記〕.
1022 治安2 5 3 陣定で若狭・越前国などの申請のことを定める〔小右記〕.
1022 治安2 7 14 法成寺金堂供養につき,天皇・三后など参列.造営行事の越前守源斉に従四位上を叙する〔小右記〕.
1022 治安2

この年文章生正六位上大江貞良を越前掾に任じる(江家次第では権掾)〔除目申文抄〕.
1023 治安3 2 5 斎院(賀茂斎王)別巡給として従七位上角国武の信濃・越前などの掾就任を望む〔大間成文抄〕.
1023 治安3 4 27 季御読経料として,これ以前に越前は米60石を納める〔小右記〕.
1023 治安3 12 26 官奏あり.越前減省などのことを関白藤原頼通が内覧〔小右記〕.
1023 治安3

この年藤原資任を越前掾に任じる〔除目申文之抄〕./従七位上角国武を越前少掾に任じる〔大間成文抄〕.
1024 万寿1 10 27 米300石・簾30枚・和布を積んだ船が若狭国に着いたが,まだ進上してないとの伯耆守藤原資頼の書到来〔小右記〕.
1024 万寿1 11 2 越前気比宮神人らが陽明門で,加賀守但波公親によって桙などが打たれ傷つけられたと訴える.同月8日に神人らの愁文を受けとり,同月9日に関白藤原頼通が愁文を見る〔小右記〕.
1025 万寿2 2 25 公事不済のまま退任出家した若狭守藤原遠理らに,公事を弁進させる勅が出る〔小右記〕.
1025 万寿2 3 2 上野と北陸道に疫病おこり死亡する者が多いと右大臣藤原実資の日記にあり〔小右記〕.
1025 万寿2 3 6 同月26日に赴任する若狭守中原師光に右大臣藤原実資が馬を給する〔小右記〕.
1025 万寿2 3 23 若狭守中原師光,赴任のため右大臣藤原実資に挨拶〔小右記〕.
1025 万寿2 7 5 請雨使として派遣される大安寺知識に,越前大粮官符を請取るべきことを右大臣藤原実資が指示〔小右記〕.
1025 万寿2 9 1 若狭守中原師光の,関白藤原頼通の荘園が国務を妨害しているとの関白あて申文3か条が右大臣藤原実資のもとに届く〔小右記〕.
1025 万寿2 9 13 若狭守中原師光の申文を了承したとの関白藤原頼通の報が右大臣藤原実資に伝えられる〔小右記〕.
1025 万寿2

この年内給として紀安重を越前掾に任じる〔魚魯愚鈔〕.
1026 万寿3 4 29 近来京中の井に小虫がわき,飲むと腫れるという.下人は北陸道より来たとか,空より降ったとかいう〔左経記〕.
1027 万寿4 12 4 藤原道長,死去.
1028 長元1 6 21 平忠常の乱(〜1031).
1028 長元1 7 5 越前守藤原為盛が任符を紛失したため,再び作成〔小右記〕.
1028 長元1 7 19 改元につき越前守藤原為盛に申請文を下し前例を調査させる〔小右記〕.
1028 長元1 11 5 春日社奉幣につき,若狭守中原師光が胡・・・・・・を進める〔小右記〕.
1028 長元1 12 27 源中納言が外記庁で若狭詔使の報告をさせる〔左経記〕.
1029 長元2 (2) 5 若狭の鈎匙文が結政に提出される〔小右記〕.
1029 長元2 (2) 5 これ以前,越前国司藤原為盛死去により季御読経料物を越前が進めず〔小右記〕.
1029 長元2 (2) 22 若狭守源惟頼赴任につき,右大臣藤原実資に挨拶〔小右記〕.
1030 長元3


1031 長元4 2 13 内大臣・春宮大夫の荘園の濫行に関する若狭国司某の解文が右大臣藤原実資のもとに届く〔小右記〕.
1031 長元4 3 5 若狭国司某が訴えた内大臣・春宮大夫の荘人濫行のことにつき,官使を派遣するようにとの関白藤原頼通の指示出る〔小右記〕.
1031 長元4 3 10 同月5日の件で若狭に派遣する人の選定につき,右大臣藤原実資が指示を出す〔小右記〕.
1031 長元4 3 29 大垣造営辞退の若狭国解が右大臣藤原実資のもとに届く〔小右記〕.
1031 長元4 7 11 頭弁の藤原経任が,内大臣・春宮大夫の荘人濫行を愁い申す若狭国司某の文と官使注進文などを右大臣藤原実頼のもとに持参〔小右記〕.
1031 長元4 9 13 越前守藤原兼綱が右大臣藤原実資に綿10帖を送る〔小右記〕.
1032 長元5 11 10 流人橘俊孝が配流の途中重病により敦賀郡に滞留し,前進不能との送使からの申文が右大臣藤原実資のもとに届く〔小右記〕.
1032 長元5

この年資子内親王の年給として,紀成重を越前大目に任じる〔除目大成抄〕.
1033 長元6


1034 長元7 8 19 風損にて修造する殿舎などのうち神祇官倉1宇を若狭国に割り当てる〔左経記〕.
1034 長元7 11 1 粮文但馬・安芸・若狭失符につき結政を行う〔左経記〕.
1035 長元8 4 8 御禊前駈として越前守某惟任を任じることに決定〔左経記〕.
1036 長元9


1037 長暦1 12 26 越前国実録帳・不与状2巻が到来.翌日奏上の予定〔平記〕.
1038 長暦2 8 25 伊勢斎王の大神宮参入にそなえ,諸国に祓清を命じるにあたり,北陸道諸国司あての太政官符は従五位下大中臣為輔を使者として派遣〔類聚符宣抄〕.
1039 長暦3 8 7 伊勢大神宮祭主大中臣兼興を停止し若狭守に任じる〔太神宮諸雑事記(郡)〕.
1040 長久1 6 10 藤原資房,蕨岡に出かけ,越前守某経平の準備により終日湯治〔春記〕.
1041 長久2


1042 長久3


1043 長久4 5 8 諸国で旱害ひどく,神泉苑で請雨経法を行う〔扶桑略記〕.
1044 寛徳1


1045 寛徳2 10
東大寺,若狭国に封戸の租穀200石を納めるよう牒する.また,若狭国が納めた封戸調庸雑物の返抄を出す〔大18の1-425・426〕.
1046 永承1 11 17 清暑堂で神楽あり.越前守源経宗,和琴を奏する〔御遊抄(続群)〕.
1047 永承2 11 25 若狭国雑掌秦安成,東大寺御封代米65石6升8勺進上につき,若狭守橘某,これを認め木津納所行友へ米を下すことを指示〔大18の1-436・437〕.
1048 永承3


1049 永承4


1050 永承5