福井県史 年表                                        


507- 701- 751- 801- 851- 901- 951- 1001- 1051- 1101- 1151- 1201- 1251- 1301- 1351-
1401- 1421- 1441- 1461- 1481- 1501- 1521- 1541- 1561- 1581- 1601- 1621- 1641- 1661- 1681-
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1921-
1931- 1941- 1946- 1951- 1956- 1961- 1966- 1971- 1976- 1981- 1986- 1991-  【凡例】


西暦 和暦 事項
1101 康和3 1
文章生散位源淳国を若狭掾に任じる〔魚魯愚鈔〕.
1101 康和3 2 9 正四位下蔵人頭左中弁源重資に越前権守を兼任させる〔公卿補任,弁官補任〕.
1101 康和3 3 29 越前守藤原家保を鳥羽新御堂造進の功により従四位上に叙する〔殿暦〕.
1101 康和3 9 23 東大寺が若狭守平正盛らの大和国内の所領を押領しようとしたため訴えられ,弁申を命じる宣旨出る〔平1453〕.
1101 康和3 10 1 天文博士安倍宗明,越前大進源清実に対して天文奏を報告〔殿暦〕.
1101 康和3 11 19 越前守藤原家康(保)らに昇殿を許す〔殿暦〕.
1101 康和3 11 20 越前守藤原家保ら五節参入〔中右記〕.
1101 康和3 12 9 右大臣藤原忠実鳥羽院に参る.越前守藤原家康(保)を使として派遣し,遅れる旨を伝える〔殿暦〕.
1102 康和4 3 9 白河法皇の50歳の祝いの御賀のための試楽あり.楽人の殿上人のうち越前守藤原家保は笛を担当〔中右記〕.
1102 康和4 3 18 白河法皇の50歳の祝いの御賀のため堀河天皇,鳥羽殿へ向かう.楽では越前守藤原家康(保)は笛を担当〔中右記〕.
1102 康和4 3 19 鳥羽殿の池で越前守藤原家康(保)ら船遊びし,楽を奏する〔殿暦〕.
1102 康和4 3 20 御賀後宴で船遊び.越前守藤原家康(保)は笛を担当〔中右記〕.
1102 康和4 7 15 御願寺供養習礼.蝶舞童に越前守藤原家康(保)らが負担した布施装束などを与える〔諸寺供養記〕.
1102 康和4 7 21 尊勝寺供養.勧賞のことあり.尊勝堂の曼荼羅堂を建立した若狭守平正盛に重任の宣旨あり.越前権守源重資を正四位上に叙する〔中右記,諸寺供養記,弁官補任〕.
1102 康和4 8 10 臨時除目.御祈料物進上の功により任国を交替し,従四位上藤原家保を丹後守に,正四位下高階為家を越前守に任じる〔殿暦,中右記〕.
1102 康和4 10 15 若狭守平正盛と祭王大中臣親定との荘園争論のことにつき,白河法皇が右大弁藤原宗忠を派遣して堀河天皇に奏上させる.以後11月11日まで宗忠,法皇と天皇の間を連絡〔中右記〕.
1103 康和5 1 17 前日生まれた宗仁皇子の御湯殿の儀あり.列立した鳴弦六位10人のなかに越前掾藤原長隆・為兼あり〔為房卿記〕.
1103 康和5 1 18 皇子誕生御三夜の儀.盃酌に越前守高階為家,奉仕〔為房卿記〕.
1103 康和5 2 30 越前国の住人藤原輔宗(助宗,越前河合斎藤氏の祖)の子の景実,皇子出産後1月25日に死去した女御苡子の葬送料3万疋を献じ飛騨守に任じられる〔本朝世紀,尊卑分脈〕.
1103 康和5 3 11 若狭国東大寺封米結解状作成される〔大18の1-499,501,503〕.
1103 康和5 6 10 御体御卜奏,祓い清めるべき神のなかに若狭国宇波西神・多大神・常神,越前国枚井手神・大虫神・雨夜神・志比前神などがみえる〔朝野群載〕.
1103 康和5 8 17 宗仁親王の立太子にともない,修理佐官城使正四位上行左中弁兼越前権守源重資ら15人を殿上人とし,越前権掾藤原長隆ら3人を蔵人に任じる〔為房卿記〕.
1103 康和5 10 12 五節舞人定めあり.五節の舞人を進める人のなかに越前守高階為家あり〔殿暦〕.
1103 康和5 11 14 五節.五節の舞人を進める人のなかに越前守高階為家あり〔殿暦〕.
1103 康和5 12 5 若狭など7か国に東宮御厨を立てる官符に請印〔中右記〕.
1104 長治1 6 13 頭中将藤原顕実が亥刻に右大臣藤原忠実に越前国遣為(気比)神人ら神輿をもって入京と報告〔殿暦〕.
1104 長治1 6 14 頭中将藤原顕実が戌刻に右大臣藤原忠実に越前国気比社神人のことを報告〔殿暦〕.
1104 長治1 6 19 気比社神人陽明門に群参し,越前守高階為家の非法を訴える〔中右記〕.
1104 長治1 7 24 越前守高階為家に尊勝寺阿弥陀堂を建立させるとの白河法皇の命出る〔中右記〕.
1104 長治1 12 27 臨時除目.越前守高階為家,備中守藤原仲実と交替〔殿暦〕.
1105 長治2 1 1 元日節会に陪膳として若狭采女あり〔永昌記〕.
1105 長治2 1 23 従七位上紀安重,諸国の掾を望み,同月27日越前少掾に任じられる〔除目大成抄〕.
1105 長治2 1 23 従七位上安倍安国,諸国の目を望み,同月27日若狭少目に任じられる〔除目大成抄〕.
1105 長治2 1 26 右大臣藤原忠実,文章生を北陸道の掾に任じる人事を決める〔殿暦〕.
1105 長治2 1 27 従三位左京大夫源顕仲に越前権守を兼任させる〔公卿補任〕.
1105 長治2 1
正六位上文章生藤原有成を越前大掾に任じる〔大間成文抄〕.
1105 長治2 2 9 越前守藤原仲実を春日祭の中宮使に任じる〔類聚世要抄〕.
1105 長治2 3 7 石清水臨時祭の使になった越前守藤原仲実に右大臣藤原忠実が馬を与える〔殿暦〕.
1105 長治2 3 9 石清水臨時祭の使を越前守藤原仲実が務める〔石清水文書〕.
1105 長治2 3 30 堀河天皇の病気平癒のため,公家御祈が始まる.越前守藤原仲実は北斗曼荼羅を出す〔中右記〕.
1105 長治2 12
正四位下行越前守兼中宮権大進藤原仲実の12月の勤務は上日(朝から出仕した日)6,宿直6〔朝野群載〕.
1105 長治2

この年正六位上校書殿執事佐伯則宗を若狭掾に任じる〔大間成文抄〕.
1106 嘉承1 3 11 中原師遠に越前権介を兼任させる.
1106 嘉承1 4 14 越前守藤原仲実,斎院御禊の見物の有無を右少弁藤原為隆に問う〔永昌記〕.
1106 嘉承1 8 28 権中納言藤原宗忠,関白藤原忠実に,唐人が来着したとの越前国解を提出〔中右記〕.
1106 嘉承1 10 9 陣定で若狭の条のことなど議論あり〔中右記〕.
1106 嘉承1 11 9 前日行われた春日祭への諸国所課は,若狭には新任によりあてず,越前には国絹12疋〔中右記〕.
1106 嘉承1 12 29 不堪佃田定あり.越前もその対象となる〔永昌記〕.
1107 嘉承2 1 16 若狭守源俊親らに昇殿を許す〔殿暦〕.
1107 嘉承2 1 28 陣定で若狭鈎文など議論〔中右記〕.
1107 嘉承2 1
文章博士菅原在良,文章得業生正六位上行越前大掾藤原尹通に課試することを請う〔朝野群載〕.
1107 嘉承2 7 19 堀河天皇,死去.鳥羽天皇,践祚.越前掾藤原有成らを蔵人に任じる〔為房卿記〕.
1107 嘉承2 7 22 越前守藤原仲実らを堀河天皇入棺の行事に任じる〔中右記〕.
1107 嘉承2 7 24 堀河天皇の侍臣であった若狭守源俊親らに素服を与える〔為房卿記〕.
1107 嘉承2 7 24 越前守藤原仲実の重任の功などを堀河天皇葬儀の用に供する〔中右記〕.
1107 嘉承2 8 23 堀河天皇五七日御忌により,越前守藤原仲実が御誦経使として勧修寺へ派遣される〔中右記〕.
1107 嘉承2 12 1 鳥羽天皇,即位.大将代に左中宮亮兼越前守藤原仲実がなる〔即位雑例条々当日〕.
1107 嘉承2 12 21 越前守藤原仲実らに重任の宣旨を下す〔中右記〕.
1108 天仁1 1 24 叙位にあたり某家隆の越前時代の功過文が提出され,定文が作られる〔中右記〕.
1108 天仁1 1
従四位上丹波雅康に越前介を兼任させる〔大間成文抄〕.
1109 天仁2 1 22 正四位上藤原為房を越前権守に任じる〔公卿補任〕.
1109 天仁2 10 29 大神宝使派遣にあたり,昼御座で鳥羽天皇,神宝をみる.そのなかに北陸道若狭姫社の分あり〔殿暦〕.
1110 天永1 1 3 摂政藤原忠実第での臨時客にあたり,越前守藤原仲実が勤仕〔殿暦〕.
1110 天永1 6 11 若狭流寓の宋人楊誦,越前国司藤原仲実の雑怠を訴える解状を提出〔永昌記〕.
1111 天永2 11 19 陣定で若狭守(源俊親ヵ)が言上してきた宋人林俊来着のことを議論し,早く廻却するようにと定める〔中右記〕.
1112 天永3 1 26 正四位上参議越前権守藤原為房に大蔵卿を兼任させ,文章得業生藤原顕業を越前大掾に任じる〔公卿補任〕.
1112 天永3 11 2 陣定で越前国司藤原仲実が言上した唐人来着のことを評議.帰粮を給し廻却させるとの意見強い〔中右記〕.
1112 天永3 12 8 摂政右大臣藤原忠実宅での上達部饌を越前守藤原仲実が勤める〔殿暦〕.
1112 天永3 12 14 摂政右大臣藤原忠実,太政大臣に任じられ,大饗を行う.一献は越前守藤原仲実が盃をのせた折敷を持ち来る〔殿暦〕.
1113 永久1 1 28 従四位上参議右大弁藤原長忠に越前権守を兼任させる〔公卿補任〕.
1113 永久1 12 17 越中守高階宗章と若狭守源俊親,交替〔殿暦〕.
1114 永久2 3 16 陣定で越前(越中ヵ)のことを議論〔中右記〕.
1114 永久2 6 27 権中納言藤原宗忠,若狭守に付して強盗10余人逮捕の旨を白河法皇に報告〔中右記〕.
1114 永久2 6 29 白河法皇の御所の鳥羽殿の車副,刃傷され搦取られる.これを沙汰するようにとの院宣を若狭守高階宗章が奉る〔中右記〕.
1114 永久2 8 16 権中納言藤原宗忠,白河法皇の所に行く.物忌により若狭守高階宗章に付して奏上〔中右記〕.
1114 永久2 11 29 白河法皇の発願で建立した法勝寺の新阿弥陀堂の供養.9体の弥陀尊像は越前守藤原顕盛が作ったもの.また若狭国が花筥を調備〔中右記,白川御堂供養記〕.
1115 永久3 1 9 正五位下蔵人右中弁源雅兼に越前介を兼任させる(公卿補任は同月29日)〔弁官補任〕.
1115 永久3 11 21 越前大掾藤原顕業,献策に及第〔公卿補任〕.
1116 永久4 1 23 従七位上藤井延国,越前・加賀などの目就任を望む〔大間成文抄〕.
1116 永久4 1 28 目就任を望む従七位上上毛野延国を越前大目に任じる〔大間成文抄〕.
1117 永久5 1 19 正四位下右大弁蔵人頭藤原顕隆に越前権守を兼任させる(弁官補任は同月22日)〔公卿補任〕.
1117 永久5 11 26 待賢門院藤原璋子の政所別当に正四位下右大弁内蔵頭越前権守藤原顕隆・従四位下若狭守高階宗章らを任じる〔婚記(群),台記別記〕.
1118 元永1 1 8 この日始まる御斎会・御七日御修法料の供進を諸国に命じたなかに,越前の海藻55斤あり〔覚禅鈔〕.
1118 元永1 1 20 同月23日に行う臨時百座仁王会の布施供養などの費用には若狭守高階宗章の重任の功の物を使うことになる〔中右記〕.
1118 元永1 2 7 春日祭使出発.興福寺の不穏な動きを制止するようにとの白河法皇の命をうけて関白藤原忠実が興福寺別当に書札を書き送った旨を報告するため,権中納言藤原宗忠が白河法皇の所に行き若狭守高階宗章に付して奏上〔中右記〕.
1118 元永1 6 14 前遠江守源基俊の郎従以下の罪過を定めたが,書生小長常正を近流とし,越前に流す〔中右記〕.
1118 元永1 7 10 白河法皇,新御所に移る.新御所は気比宮の神主が造進したもの〔中右記,百練鈔〕.
1118 元永1 8
前斎宮庁が牒を若狭国衙に発し,封戸25戸分の100石を早く出すよう求める〔朝野群載〕.
1119 元永2 1 15 従七位上大宅国重,越前か越中の目就任を望む〔魚魯愚鈔〕.
1119 元永2 1 22 内大臣藤原忠通の当年給として目就任を望む従七位上藤井国次を越前少目に任じる〔大間成文抄〕.
1119 元永2 5 29 前日誕生した皇子の御湯殿始あり.青鈍色を着用しないようにという白河法皇の指示を知らずに院に参上した源師時が越前国司藤原顕隆から服を借用〔長秋記〕.
1119 元永2 9 9 顕仁親王誕生百日の祝.内女房への引出物に用した綿1000両は越前に課したもの.また女房の打出衣は,若狭1国のみ風流を施したものを課し,他は風流をやめる〔中右記〕.
1119 元永2 9 21 白河法皇,熊野参詣にむけ精進を始める.共のなかに若狭守高階宗章あり〔中右記〕.
1119 元永2 10 21 従三位右近衛権中将源有仁,故権大納言藤原公実の娘と婚姻.若狭守高階宗章,白河法皇の使者として笏・剣などを持参.また,給禄にあたっては,越前守藤原顕盛らが六位用の禄をうける〔長秋記〕.
1120 保安1 11 25 臨時除目で平忠盛を越前守に,藤原顕盛を伯耆守に任じる〔中右記〕.
1121 保安2 6 1 「白山上人(西因)縁起」できる〔本朝続文粋〕.
1122 保安3


1123 保安4 5
敦賀郡にて闘殺起こり,犯人を搦め取るが,検非違使庁に連行途中に比叡山の僧らに奪取され騒動となる〔平1993〕.
1123 保安4 7 18 越前守平忠盛が越前で日吉社の神人を逮捕したことに端を発し,天台の衆徒が京中に乱入し祇園内に立て篭る.忠盛らを派遣し,合戦となる〔一代要記〕.
1123 保安4 9 12 越前守平忠盛が東大寺領伊賀国玉瀧本山を押妨した件につき勘文が出る〔平1998〕.
1123 保安4 12 20 正四位下源雅兼を右大弁兼越前権守に任じる〔公卿補任〕.
1124 天治1 11 26 五節参入.越前守平忠盛ら奉仕〔中右記〕.
1125 天治2 1 28 正四位下右大弁源雅兼に越前権守を兼任させる〔弁官補任〕.
1125 天治2 1 28 従五位下藤原家成を若狭守に任じる〔公卿補任〕.
1126 大治1 2 2 白河法皇,東殿に移る.水火童が左右に列立するが,水童に越前守平忠盛が付く〔永昌記〕.
1126 大治1 2
源某が若狭国遠敷郡中手東郷・中手西郷・大飯郡青郷6か所の所領を二郎隆清に処分〔平2063〕.
1126 大治1 3
二郎隆清が領知する若狭国遠敷郡恒枝名田坪付帳が作られる〔平2066〕.
1127 大治2 1 19 淡路守藤原信輔を若狭守に任じる〔二中暦〕.
1127 大治2 1 20 淡路守藤原信輔を若狭守に,若狭守藤原家成を加賀守に任じる〔中右記〕.
1127 大治2 11 15 五節舞にあたり,左京大夫藤原経忠は綿150両を出すが,これは子の若狭守藤原信輔が若狭に課したもの.また越前守平忠盛は綿50両を出す〔中右記〕.
1127 大治2 12 20 藤原顕能を越前守に任じる〔中右記〕.
1127 大治2 12 27 僧永真,大野郡の1所を藤原成通政所へ寄進〔平2114〕.
1128 大治3 10 22 白河法皇の八幡一切経供養願文に殺生禁断のため越前など11か国の土産の魚類をやめるようにとあり〔本朝続文粋〕.
1129 大治4 1
源雅兼に越前権守を重任させる〔公卿補任〕.
1130 大治5 2 26 正五位下行諸陵頭兼算博士三善為康に越前権介を兼任させる旨の越前国司某あての官符出る〔朝野群載〕.
1130 大治5 3 13 東大寺諸荘文書并絵図等目録が作られる〔大18の6-105〕.
1130 大治5 9 28 中宮大夫藤原宗忠が大原吉次を若狭・能登などの目に推薦〔長秋記〕.
1131 天承1 8 15 女院主典代茂通,月奏と近江・越前両国寺御堂末寺下文を権中納言・皇后宮権大夫源師時のもとに持参〔長秋記〕.
1131 天承1 8 17 正四位下藤原頼長を越前守に任じる〔尊卑分脈〕.
1131 天承1 9 5 越前守藤原顕頼,鳥羽上皇に馬20疋を進上〔長秋記〕.
1132 長承1 1
越前国白山麓平清水に住む勝義大徳,死去〔三外往生伝〕.
1132 長承1 (4) 4 高階盛章を越前守に任じる〔中右記〕.
1132 長承1 8 25 醍醐寺円光院領越前国大野郡牛原荘の引出物を免除する旨の留守所あての庁宣が出る(醍醐寺あては同月26日)〔平2235・2236〕.
1132 長承1 9 23 醍醐寺円光院に,越前国大野郡牛原荘の四至を1086年(応徳3)当時に戻し,国郡の牢篭を停止する旨,および前国守藤原顕能が責めとった引出物の絹を返却するように越前国司高階盛章に命じた旨の官宣旨出る〔平2241〕.
1132 長承1 10 7 白河九体丈六新阿弥陀供養あり.勧賞として若狭守藤原信輔を従四位上に昇叙〔中右記〕.
1132 長承1 10 13 鳥羽上皇,高野山参詣に出発.若狭守藤原信輔・越前守高階盛章ら13人の殿上人が従う〔中右記〕.
1132 長承1 11 23 五節舞姫の装束を送った人のなかに若狭守藤原信輔の被物2重あり.また越前守高階盛章の被物は未進〔中右記〕.
1133 長承2 1 27 参議藤原成通の大野郡泉郷の私領を醍醐寺円光院領として牛原荘に米300石を毎年弁済する旨の官宣旨が越前国司高階盛章あてに出る〔平2264〕.
1133 長承2 1 29 鳥羽上皇の封戸から若狭国65戸,越前国48戸を割いて金剛峯寺に施入するとの太政官符出る〔平2265〕.
1133 長承2 2 9 春日祭使出発.若狭守藤原信輔ら院殿上人12人が同行〔中右記〕.
1133 長承2 5 28 金剛峯寺が若狭・越前の封戸施入の1月29日付太政官符の請文を出す〔平2271〕.
1133 長承2 6 14 大野河以西中夾を醍醐寺円光院領越前国大野郡牛原荘とし,官使・国使・院家使・藤原成通家使ら立会の上で示を定めるようにとの官宣旨出る〔平2278〕.
1133 長承2 8 22 民部省,1月29日の太政官符により金剛峯寺に封戸を施入する旨の符を若狭国司藤原信輔・越前国司高階盛章に出す〔平2283・2284〕.
1133 長承2 9 21 越前国大野郡牛原荘の役夫工作料米を免除するようにとの越前国府留守所あての越前国司庁宣出る〔平2287〕.
1134 長承3 3 19 泰子立后により,越前守高階盛章を皇后宮職の権大進に任じる〔中右記〕.
1134 長承3 (12) 14 鳥羽上皇の白河新御所での孔雀経御修法が結願.布施としての馬2疋を越前守(高階盛章ヵ)と三河守が引く〔孔雀経御修法記(続群)〕.
1134 長承3 (12) 15 藤原周子の寄文と国司庁宣の旨により,左衛門督家の位田を越前国今立郡河和田荘に加え立券混合するよう,待賢門院庁から越前国在庁官人と河和田荘司田堵あての下文出る〔平2310〕.
1135 保延1 2 8 大納言による右大将任命の儀に扈従の殿上人のなかに若狭守藤原公信あり〔知信記,台記別記〕.
1135 保延1 2 21 夜,大風で気比社の宮殿が倒れたと伝える〔気比宮社記〕.
1135 保延1 5 18 上皇による仁和寺修理の供養あり.勧賞として修理を担当した若狭守藤原公信を重任〔中右記〕.
1135 保延1 5 25 内裏で最勝講.若狭守藤原公信,左方堂童子を務める〔長秋記〕.
1135 保延1 10 9 小六条殿での鳥羽上皇の孔雀経御修法が結願.布施として馬2疋,三河守と越前守(高階盛章ヵ)が引く〔孔雀経御修法記(続群)〕.
1135 保延1 12 2 宣旨により越前守高階盛章,重任の功として気比社の神殿・雑舎などを造る〔平補110〕.
1135 保延1 12 24 気比社建立し遷宮と伝える〔気比宮社記〕.
1136 保延2 9
散位藤原忠恒の越前国足羽郡木田荘住人検校の請文は追って進上するようにとの明法博士勘文案が作られる〔平2350〕.
1136 保延2 12 9 権大納言藤原頼長参内の前駈の殿上人のひとりに若狭守藤原公信あり〔台記〕.
1136 保延2 12 17 内大臣藤原頼長が参内後の帰路,若狭守藤原公信が同行〔台記〕.
1137 保延3 1 20 右大臣藤原宗忠の外孫公親が内大臣邸で元服.指燭の五位の殿上人2人のなかに若狭守藤原公信あり〔中右記〕.
1138 保延4 11 28 越前国大野郡牛原荘は官省符荘であるから,引出物は早く糺返するようにとの越前国司庁宣が越前国府留守所あてに出る〔平2400〕.
1139 保延5 2 19 越前国大野郡牛原荘の引出物は見納米をさいて早く糺返するようにとの庁宣が再び出る〔平2405〕.
1139 保延5 11
越前国東条郡(今立郡)河和田荘を法金剛院に寄進し,執行は周子の子々孫々とする内容の藤原周子寄進状が出る〔平2417〕.
1140 保延6 3
従三位大蔵卿源行宗に越前守を兼任させる〔公卿補任〕.
1141 永治1 12 2 従五位下藤原惟方を越前守に任じる〔公卿補任〕.
1142 康治1 1 23 文章得業生の藤原盛佐を越前大掾に,藤原定憲を少掾に任じるとの越前国司庁宣出る〔本朝世紀〕.
1142 康治1 3 14 越前国大野郡牛原荘住人ら,越前国司藤原惟方が課した人夫役の停止を本家政所に訴える〔平2461〕.
1142 康治1 3 26 越前国大野郡牛原荘の堤夫は免除する旨の鳥羽法皇の院宣出る〔平2462〕.
1142 康治1 10 14 越前国大野郡牛原荘への臨時国役を停止するようにとの越前国司庁宣出る〔平2483〕.
1142 康治1 10 18 越前国大野郡牛原荘への国役を免除するようにとの鳥羽法皇の院宣出る〔平2484〕.
1143 康治2 1 27 従五位下高階泰重を若狭守に,文章生藤原敦景を若狭掾に任じる〔本朝世紀〕.
1143 康治2 1 30 若狭守高階泰重を斎宮御禊前駈に定める〔本朝世紀〕.
1143 康治2 (2) 16 従三位越前権守源行宗,出家(一代要記は同月12日)〔公卿補任〕.
1143 康治2 7 4 平等院検校法院勝豪らによる病気平癒の祈祷.鳥羽法皇の使は若狭守信輔〔台記〕.
1143 康治2 8 6 従五位上越前守藤原惟方を皇后宮の新造御堂の造作の勧賞として正五位下に昇叙〔本朝世紀〕.
1143 康治2 10 14 参議藤原教長の家領,越前国丹生郡石田荘を舎利会料として仁和寺に寄進〔仁和寺御伝〕.
1144 天養1 1 24 参議従三位藤原公行に越前権守を兼任させる〔公卿補任〕.
1144 天養1 7 10 右少弁藤原光頼・越前守藤原惟方兄弟に昇殿を許す〔本朝世紀〕.
1144 天養1 9 4 若狭守高階泰重罷符に内印が押される〔本朝世紀〕.
1144 天養1 12 30 正五位下藤原俊盛を越前守に任じる〔公卿補任〕.
1145 久安1 5 25 下野・若狭国のことにつき陣定あり〔本朝世紀〕.
1146 久安2 1 23 文章生惟宗親盛を越前大掾に任じる〔本朝世紀〕.
1146 久安2 11 6 越前国大野郡牛原荘に割り当てられた掃除人夫石料米を免除〔平2591〕.
1146 久安2 11 6 越前国大野郡牛原荘について某親忠消息文を献上〔平2592〕.
1146 久安2 11 11 五節参内.越前守藤原俊盛ら奉仕〔本朝世紀,台記〕.
1147 久安3 1 28 文章生大中臣輔元を若狭掾に,文章得業生藤原資能を越前少掾に任じ,右兵衛権佐藤原清成に若狭守を兼任させる〔本朝世紀〕.
1147 久安3 4 7 天台(延暦寺)僧綱,越前白山を延暦寺末寺とするよう訴える.しかし裁許なし〔百練抄,台記〕.
1147 久安3 4 13 延暦寺僧綱已講ら,鳥羽法皇に越前国白山社を延暦寺末寺とするよう訴える〔本朝世紀〕.
1147 久安3 4 17 東大寺印蔵文書目録作成される.そのなかに,若狭・越前関係文書あり〔大18の3-254〕.
1147 久安3 4 27 覚宗以後に白山平泉寺を延暦寺末寺とする旨の鳥羽法皇の院宣出る〔華頂要略〕.
1147 久安3 7 18 季御読経初め.若狭守藤原清成,堂童子として加わる〔本朝世紀〕.
1147 久安3 7 19 季御読経2日め.若狭守藤原清成,土器を持って従う〔本朝世紀〕.
1147 久安3 12 11 弾正忠3人のうち1人は越前国に居住〔台記別記〕.
1148 久安4 1 28 参議正三位藤原清隆に越前権守を兼任させる〔本朝世紀〕.
1148 久安4 1 28 右近衛少将従四位上藤原公親に越前権介を兼任させる.文章生従四位上藤原景盛を越前大掾に任じる〔本朝世紀〕.
1148 久安4 5 10 東大寺封戸未進の国のなかに若狭国50戸,代米153石9斗あり〔大18の1-532〕.
1148 久安4 12 6 醍醐寺三宝院元三料として越前国大野郡牛原北荘・同南荘などにそれぞれ菓子12合・酒1瓶子をわりあてる〔醍醐雑事記〕.
1149 久安5 1 8 醍醐寺上薬師堂修正の湯漬十三前は越前国大野郡牛原荘の納所に送らせたもの〔醍醐雑事記〕.
1149 久安5 2 13 従四位上越前守藤原俊盛ら近衛天皇の鳥羽法皇への新年のあいさつに従い勧賞を受ける〔本朝世紀〕.
1149 久安5 4 3 外記政で諸国重任符に請印するなかに若狭藤原清成あり〔本朝世紀〕.
1149 久安5 4 16 鳥羽法皇が,越前国白山に登り龍池の水を酌んだことのある駿河の富士上人が献上した料紙を用い,諸人に大般若経を書写させる〔本朝世紀〕.
1149 久安5 8 1 右大臣藤原実行,所々に任官の礼に行く.若狭守藤原清成,前駈として加わる〔本朝世紀〕.
1149 久安5 9 25 若狭守藤原清成の任符に内印を押す〔本朝世紀〕.
1149 久安5 10 2 美福門院殿上始めの日.盛経書簡学并銘のなかに越前守藤原俊盛の名あり〔台記別記,兵範記〕.
1149 久安5 10 25 入内諸国所課として若狭には小筵10枚と女装束(織物・唐衣・裳・濃袴)1具を課する〔台記別記〕.
1149 久安5 11 3 美福門院が熊野精進屋に入る.扈従の人びとのなかに越前守藤原俊盛あり〔本朝世紀〕.
1149 久安5 11 9 新女院,石清水八幡宮へ進発.越前守藤原俊盛ら参詣の共をする〔台記別記,兵範記〕.
1150 久安6 8 16 若狭国などの任符につき内文の事を行う〔本朝世紀〕.
1150 久安6 12 22 除目.従七位上秦末房を若狭少目に任じる〔本朝世紀〕.