福井県史 年表

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西暦 和暦 事  項
1151 仁平1 2 24 越前国大野郡牛原荘の役夫工作料の米を免除するようにとの越前国府留守所あての越前国司庁宣出る〔平2721〕.
1151 仁平1 2 25 女院から下給された牛原荘の役夫工作料を免除する庁宣を右大弁が醍醐寺に献上〔平2722〕.
1151 仁平1 3
丹生二郎譜代の私領の田畠(若狭国遠敷郡丹生村・太良保2か所,若狭国大飯郡鞍内浦など)を丹生若丸に相続させる〔平2725〕.
1151 仁平1 4 28 数十人の越前国使が大野郡牛原荘に入り,125名を徴下するといいながら725名を責取る〔平2744〕.
1151 仁平1 8 11 饗の禄用の単重52領のうち若狭は4領を負担〔台記別記〕.
1151 仁平1 11 15 褂34領のうち若狭は2領を負担〔台記別記〕.
1151 仁平1 11 29 越前国大野郡牛原荘の役夫工作料米と臨時雑事などの役は永く免除してほしいとの旨の解状を,醍醐寺円光院の所司が提出〔平2744〕.
1151 仁平1 12 25 醍醐寺円光院領越前国大野郡牛原荘の造伊勢豊受大神宮役夫工作料米などを免除するようにとの官宣旨出る〔平2744〕.
1152 仁平2 2 25 正四位下行左近衛権少将兼越前権介藤原行通を右近衛権少将に任じる〔本朝世紀〕.
1152 仁平2 3 16 別当の越前守藤原俊盛が,三位少将藤原基実が所々に昇叙の礼をし,美福門院の御所では慶賀されたことを奏聞〔兵範記〕.
1152 仁平2 8
越前国牛原荘に課した造内裏役を免除するとの留守所あて越前国司庁宣出る〔平2769〕.
1152 仁平2 9
越前国牛原荘に課した役夫工作料米・任一度引出物を免除するとの留守所あて越前国司庁宣出る〔平2770〕.
1152 仁平2 9
園城寺長吏で白山平泉寺の社務を執行していた覚宗,死去〔本朝世紀,百練抄〕.
1152 仁平2 12 30 藤原隆信を越前守に任じる〔兵範記〕.
1153 仁平3 1 21 参議正三位藤原教長を越前権守に任じる〔公卿補任〕.
1153 仁平3 4 6 小除目.藤原親忠,病気により若狭守を辞任したため藤原隆信を任じ,藤原実清を越前守に任じる〔本朝世紀〕.
1153 仁平3 4 29 東大寺諸荘園文書目録に越前国荘園関係文書あり〔平2783〕.
1154 久寿1 2 2 春日詣前駈人々装束目録のなかに越前守(藤原実清ヵ),越前権守某基行らみえる〔兵範記〕.
1154 久寿1 9 29 誠南宮競馬に越前守藤原実清,奉仕〔兵範記〕.
1155 久寿2 1 27 参議従三位藤原資信を越前権守に任じる〔公卿補任〕.
1155 久寿2 11 26 越前守藤原実清の春宮昇殿を許す〔兵範記〕.
1156 保元1 1
丹波実康に越前権介を兼任させる〔大間成文抄〕.
1156 保元1 4 17 東大寺雑役荘文書出納日記に越前国荘園関係文書あり〔平2836〕.
1156 保元1 7 11 同月2日の鳥羽法皇の死去により素服・挙哀を停止し,宴飲・作楽・美服を禁じる旨の命令を北道諸国にも下す〔兵範記〕.
1156 保元1 7 11 保元の乱.
1156 保元1 7 19 藤原忠通,氏長者になる.越前国今立郡方上荘に奉仕するべき旨の指示を出す〔兵範記〕.
1156 保元1 10 2 越前国大野郡牛原荘三方(北荘・南荘・中夾)に配分して節器を課する〔平2852〕.
1157 保元2 1 24 参議従三位源師仲を越前権守に任じ,藤原範兼に越前介を兼任させる〔公卿補任〕.
1157 保元2 3 26 内裏棟上.承明門造作を越前国に,朔平門造作を若狭国に課する〔兵範記〕.
1157 保元2 4 26 源資保を越前権守に任じる〔兵範記〕.
1158 保元3 1
大中臣永成を越前大掾に任じる〔大間成文抄〕.
1158 保元3 8 11 藤原基実,藤原氏長者となり,越前国今立郡方上荘を殿下渡領の1つとして継承〔兵範記〕.
1158 保元3 11 21 五節舞姫参る.越前守藤原実清も参る〔兵範記〕.
1158 保元3 12 3 石清水八幡宮寺に越前国道田保(比定地未詳)などの知行を安堵〔平2959〕.
1159 平治1 1 29 正六位上橘俊光を若狭掾に任じる〔大間書〕.
1159 平治1 5 29 東大寺文書出納日記に越前国荘園関係文書あり〔平2973〕.
1159 平治1 12 9 平治の乱.
1159 平治1 12
平治の乱で敗れた源義平,一時越前の足羽にのがれる〔平治物語〕.
1160 永暦1 4 7 従五位下藤原季能を越前守に任じる〔公卿補任〕.
1160 永暦1 6 28 美福門院が越前・若狭両国の高野山寺封につき,分国主として両国司に命令を下す〔平3099〕.
1160 永暦1 7 22 若狭守藤原隆信らを殿上人から除籍〔山槐記〕.
1160 永暦1 9 8 斎王群行.勢多(瀬田)橋損亡のため,船を北陸道の受領に課する〔山槐記〕.
1160 永暦1 11 3 若狭国に五節舞姫役を課すが,分国主美福門院からの申入れによりこれを停めるかどうか議あり〔山槐記〕.
1160 永暦1 11 23 若狭守藤原隆信が五節舞姫を奉る〔山槐記〕.
1160 永暦1 12 29 平基盛を越前守に任じる〔山槐記〕.
1161 応保1 1 23 正四位下藤原重家を若狭守に任じる〔公卿補任〕.
1161 応保1 4 28 連句参仕雲客のなかに若狭守藤原重家あり〔山槐記〕.
1161 応保1 10 19 従四位上平経盛を若狭守に任じる〔公卿補任〕.
1161 応保1 11 23 越前国大野郡牛原荘の北荘・南荘・中夾・牛原納所に歳末料として布縁畳を配分して課する〔醍醐雑事記〕.
1162 応保2 1 27 和気貞成に越前介を兼任させる〔山槐記〕.
1162 応保2 1 27 大外記正五位上中原師元を越前権守に兼任させる〔外記補任〕.
1162 応保2 10 17 醍醐寺座主乗海の拝堂式の机饗に用いた大破子3荷は牛原荘納所の慶兼が出したもの〔醍醐雑事記〕.
1162 応保2

この年越前守平基盛,死去〔法琳寺別当補任〕.
1163 長寛1 1 24 平保盛を越前守に任じる〔公卿補任〕.
1163 長寛1 11 8 平泉寺僧徒が越前国大野郡牛原荘内に居住して所役に従わないこと,同寺に篭居する夜打・強盗の輩が牛原荘を侵略することにつき,太政官が領主醍醐寺円光院の権益を保護する命令を下す〔平3272〕.
1163 長寛1

この年「白山之記」が成立ヵ〔同書〕.
1164 長寛2 4
越前国大野郡牛原荘庄林に対し,朱三花形合子などを課する〔醍醐雑事記〕.
1164 長寛2 7
越前国吉田郡曽万布荘の百姓らが領主東北院に国衙の非法3か条を訴える〔平3296〕.
1165 永万1 2 24 若狭国司,庁宣を留守所に下し,国富保を便補保として官御祈願米・造八省米など175石を弁済させる〔平3354〕.
1165 永万1 4 6 羽賀寺十一面千手観音立像胎内銘に「長寛三年乙酉卯月六日甲申始」などとあり〔同胎内銘〕.
1165 永万1 6
神祇官諸社年貢注文に若狭国常神社,越前国気比社・大虫社・劔社あり〔平3358〕.
1165 永万1 7 26 栖雲寺阿弥陀如来坐像胎内銘に「永萬元年次才乙酉七月廿六日改造立」などとあり〔同胎内銘〕.
1165 永万1 8
後白河法皇が延暦寺の大衆に平清盛を誅させるとのうわさあり.若狭守平経守ら皇居を守護〔源平盛衰記〕.
1165 永万1

この年最勝寺領越前国丹生郡大蔵荘を国使不入とするよう,権大僧都顕某が求める〔平3522〕.
1166 仁安1 1 13 参議正三位藤原宗家を越前権守に任じる〔公卿補任〕.
1166 仁安1 9 7 若狭守平経盛,御仏事を奉仕〔兵範記〕.
1166 仁安1 10 26 競騎で左近番長中臣近武は越前守平保盛の仁毛の馬に乗る〔兵範記〕.
1166 仁安1 12 30 従五位下平資盛を越前守に任じる〔公卿補任〕.
1166 仁安1

この年若狭守平経盛が中宮亮重家の歌合に参加〔重家歌合〕.
1167 仁安2 1 30 参議正三位藤原成親に越前権守を兼任させる〔公卿補任〕.
1167 仁安2 1 30 大外記正五位下中原師尚に越前権介を兼任させる〔外記補任〕.
1167 仁安2 2 11 平清盛を太政大臣に任じる.
1167 仁安2 3 18 八幡神社(武生市王子保)の鐘銘に「始鋳之仁安二年三月十八日」などとあり〔同鐘銘〕.
1167 仁安2 4 27 夜に新大納言藤原師長,車で若狭守平経盛の白河宅に行く〔玉葉〕.
1167 仁安2 11 1 北陸道大神宝使に藤原高経の派遣が決まる〔兵範記〕.
1167 仁安2 11 11 大神宝使派遣に際し,六条天皇が神宝を見る.北陸道は若狭彦神社の神宝〔兵範記〕.
1167 仁安2 11 13 若狭守平経盛,五節舞姫を奉る〔兵範記〕.
1167 仁安2 11 15 六条天皇が五節舞姫の童を見る.若狭童・若狭下仕蔵人あり〔玉葉〕.
1167 仁安2

この年以前越前国司が越前国今立郡方上荘の官物未進につき,田堵・在庁の非法を訴える〔平4828〕.
1167 仁安2

この年気比社領敦賀郡内浮免田の交分非列につき国衙百姓・神官らが訴え,代官武蔵権守藤原説盛のとき免じたと伝える〔気比宮社記〕.
1168 仁安3 1 11 参議従三位平宗盛に越前権守を兼任させる〔公卿補任〕.
1168 仁安3 2 19 越前守平資盛に昇殿を許す〔兵範記〕.
1168 仁安3 3 2 皇太后宮請奏.諸節・旬日の贄を直接皇太后宮職に納めることを申し出て勅許されるが,その贄国のなかに若狭あり〔兵範記〕.
1168 仁安3 9 7 大奉幣使を派遣.北陸道は三百五十二前.また,大嘗会のために散斎・致斎を命じる官符が北陸道にも下される〔兵範記〕.
1168 仁安3 9 8 東海・東山・北陸道などの大奉幣使官符に神部を載せておらず,違例が問題となる〔兵範記〕.
1168 仁安3 11 29 沙弥盛信の私領の若狭国遠敷郡名田郷と伊与内侍の私領とを交換〔平3481〕.
1169 嘉応1 10 10 北陸道大神宝使に中原康言の派遣決まる〔兵範記〕.
1169 嘉応1 10 20 若狭国三方郡御賀尾浦の刀祢職が安堵される〔大音文書〕.
1169 嘉応1 11
権大僧都顕某が最勝寺領越前国丹生郡大蔵荘の四至に示を打ち,国使不入の地とすることを申請〔平3522〕.
1170 嘉応2 1 18 平経盛が若狭守の任期を終え,猶子の経光を守に任じられることを申請〔公卿補任〕.
1170 嘉応2 (4) 3 平泉寺の別当光明を住僧殺害の罪により阿波へ流す〔百練抄〕.
1170 嘉応2 6 16 若狭国遠敷郡西津荘御月忌を供僧の所役で勤めるか否かにつき議論あり〔平3550〕.
1170 嘉応2 7 3 摂政藤原基房,法勝寺に参る途中,居飼が越前守平資盛の車に恥辱を加える〔玉葉,百練抄〕.
1170 嘉応2 10 16 越前守平資盛,狩から六波羅へ帰る途中,摂政藤原基房の一行と行き会い,恥辱を受ける〔平家物語〕.
1170 嘉応2 12 2 若狭国三方郡御賀尾浦の四至を定める〔大音文書〕.
1171 承安1 4 7 従五位上平資盛に越前守を重任させる〔公卿補任〕.
1172 承安2


1173 承安3 9
八条院領越前国坂井郡一品田勅旨田として,坂井郡船寄村の田地を安堵するとの越前国司庁宣出る〔越前国司庁宣〕.
1173 承安3 11 11 五畿七道に宣旨を下し,東大寺以下14寺の寺領を没収〔平3643〕.
1174 承安4 1 21 平敦盛を若狭守に,中原盛直を越前権介に任じる〔山槐記〕.
1174 承安4 3 28 八条院領越前国坂井郡一品田勅旨田の坪付を定める〔平5057〕.
1174 承安4 4 30 越前国今立郡泉北御厨について藤原泰通と外宮祢宜彦章の相論を陣定にかける〔百練抄〕.
1174 承安4 8 16 伯耆国長講堂領久永御厨が若狭三河浦住人時定の濫行を訴え,院奏で裁可をうける〔吉記〕.
1174 承安4 9 17 久永御厨が若狭在庁時永を訴えたことにつき,若狭国司平敦盛が陳状を提出〔吉記〕.
1174 承安4 12 1 正六位上藤井石末を若狭大掾に任じる〔玉葉〕.
1175 安元1 1 22 非参議従三位藤原脩範を越前権守に任じる〔公卿補任〕.
1175 安元1 6
勅により神鏡三面を気比社に奉納.神宝と般若心経1000巻も神庫に収めたと伝える〔気比宮社記〕.
1176 安元2 1 28 従七位上蜂田牛友を越前目に任じる〔玉葉〕.
1176 安元2 1 29 正六位上荒木田明家を越前大掾に任じ(大間成文抄は同月23日),従五位上丹波雅長に越前権介を兼任させる〔玉葉〕.
1176 安元2 1 30 正四位下平通盛を越前守に任じる(公卿補任は同月20日)〔玉葉〕.
1176 安元2 2 6 伊与内侍が若狭国遠敷郡名田荘を大姫御前に譲る〔平3736〕.
1176 安元2 2
八条院領目録に安楽寿院領として越前国大野郡小山・今立郡西谷・足羽郡蔬野(蕗野)荘が,庁分御荘として越前国坂井郡一品勅旨田・敦賀郡気比荘・今立郡鞍谷荘がみえる〔高山寺文書,平5060〕.
1176 安元2 3 6 後白河法皇50歳の祝の後宴に越前守平通盛,奉仕〔安元御賀記(群)〕.
1176 安元2 3 25 官奏.越前守平通盛の不動倉を開けて点検するため・・・・・匙を与えるようにとの申請を奏する.〔玉葉〕.
1176 安元2 8 12 白山の中宮三社八院の大衆,加賀守藤原師高らの非法を山門に訴え,中宮神輿を東坂本に移す〔平家物語〕.
1177 治承1 5 29 山門大衆が前天台座主明雲を奪取したため,近江・美濃・越前3か国に国内武士を注申させる〔玉葉〕.
1177 治承1 6 1 鹿ケ谷の陰謀.
1178 治承2 1 26 従七位上草部国清を越前権目に任じる〔玉葉〕.
1178 治承2 1 27 正六位上文章生惟宗親景を若狭大掾に,正六位上文章生藤原能経を越前大掾に,正六位上藤井菊景を若狭少掾に,正六位上藤井得長を越前大掾に任じる〔玉葉〕.
1178 治承2 1 28 従五位下平師盛を若狭守に任じる〔玉葉〕.
1178 治承2 2 23 大法師雲厳を若狭国遠敷郡太良保公文職に任じる〔平3818〕.
1178 治承2 6 27 越前守藤原雅隆,勅別当となる〔女院小伝(群)〕.
1178 治承2 7 24 羽賀寺毘沙門天立像胎内銘に「治承二年七月廿四日」などとあり〔同胎内銘〕.
1178 治承2 8 19 中宮で毎日御祓事あり.越前守平通盛,陪膳を奉仕〔山槐記〕.
1178 治承2 9 13 中宮で千度御祓あり.越前守藤原雅隆,陪膳を奉仕〔山槐記〕.
1178 治承2 10 21 中宮御仏供養.平野社御祈に越前守平通盛が行事を務める〔山槐記〕.
1178 治承2 10 26 御祓.越前守平通盛,陪膳を奉仕〔山槐記〕.
1178 治承2 10 28 御祓.越前守平通盛,陪膳を奉仕〔山槐記〕.
1178 治承2 10 29 右大臣九条兼実,封戸国である越前国の米10石の下文を下家司親弘に与える〔玉葉〕.
1178 治承2 11 9 醍醐寺築垣の修理を越前国大野郡牛原北荘・南荘・中夾に課する〔醍醐雑事記〕.
1178 治承2 11 12 御祓に奉仕した殿上人宮司のなかに越前守藤原季能あり〔山槐記〕.
1179 治承3 1 2 高倉天皇が後白河法皇の所へ新年のあいさつに行く.台盤所菓子60合を院司の所課として,越前守平通盛に負担させようとしたところ,召使が国所課と誤って知行国主内大臣平重盛のもとに行き,不都合あり〔山槐記〕.
1179 治承3 1 6 東宮誕生50日の祝で中宮女房衝重六十前のうち三十前は越前守平通盛の所課(知行国主は平敦盛).粉物長櫃10合は若狭守平師盛が調進(知行国主は藤原兼継)〔山槐記〕.
1179 治承3 1 18 正五位下平信国に越前介を兼任させる〔玉葉〕.
1179 治承3 1 19 従五位下藤原光章を越前権守に任じる〔玉葉〕.
1179 治承3 1 23 中宮母参内の前駈のうちに越前守平通盛あり〔山槐記〕.
1179 治承3 2 9 釈奠の講師を越前権守藤原光章が務める〔山槐記〕.
1179 治承3 10 9 正四位下藤原季能を越前守に任じる〔公卿補任〕.
1179 治承3 11 14 故内大臣平重盛に与えられた越前国を後白河法皇が召し取ったことを怒って,平清盛が数千の兵を率いて福原から上京.〔山槐記〕.
1179 治承3 11 17 藤原季能の越前守を解任〔公卿補任〕.
1179 治承3 11 18 正四位下平通盛に越前守を兼任させる〔公卿補任〕.
1179 治承3 11 19 平経俊を若狭守に任じる〔山槐記〕.
1179 治承3 11 20 平清盛,後白河法皇を鳥羽殿に幽閉し,福原に帰る.
1179 治承3 12 14 観学院の学生が藤原基通第へ関白就任の祝に訪問.越前守平通盛も参加〔山槐記〕.
1180 治承4 1 27 従五位上藤原親経に越前権介を兼任させる〔玉葉〕.
1180 治承4 4 9 以仁王,令旨で東海・東山・北陸3道諸国の源氏と群兵に平清盛と従類の追討を命じる〔吾妻鏡〕.
1180 治承4 5 11 皇嘉門院惣処分状に「わかさ たていし本・新,ゑちせん いまいつみ」という荘園がみえる〔平3913〕.
1180 治承4 6 2 安徳天皇・後白河法皇・高倉上皇,平清盛の請で福原に向かい,摂政以下従う(福原遷都).
1180 治承4 8 17 源頼朝,伊豆に挙兵.
1180 治承4 8 23 源頼朝,石橋山で敗れる.
1180 治承4 9 7 源義仲,信濃に挙兵.
1180 治承4 10 6 源頼朝,鎌倉に入る.
1180 治承4 10 20 平維盛の軍,富士川で大敗.
1180 治承4 11 7 東海・東山・北陸道に頼朝追討の宣旨を下す〔吉記〕.
1180 治承4 11 17 源頼朝,和田義盛を侍所別当に任じる.
1180 治承4 11 22 源頼朝が平清盛を誅伐のため,北陸・東山・東海道の武士に参加を求めたという〔玉葉〕.
1180 治承4 11 23 北陸道運上物,すべて近江国で源氏方が没収〔玉葉〕.
1180 治承4 11 25 北陸道すこぶる反乱の気配ありという〔玉葉〕.
1180 治承4 11 28 平経盛知行国の若狭国の有勢の在庁ら,近江国の源氏方に味方したという〔玉葉〕.
1180 治承4 12 2 越前守平通盛ら追討使,近江に発向〔明月記〕.
1180 治承4 12 22 平維盛を越前国に派遣し,反乱を鎮圧させる〔山槐記〕.
1180 治承4 12
越前守平通盛らの追討使,近江・美濃の凶徒を追い払う〔帝王編年記〕.
1181 養和1 1 8 五畿内・東海・西海・北陸道など謀反の風聞あり〔百練抄〕.
1181 養和1 1 19 これより先,越前国は気比社を,若狭国は平野社を建立するので主殿寮の納物は免除されるとの宣旨が出るが,内侍所の燈などが欠如したので免除せず弁済するように主殿寮が宮内省に解を出す〔平3949〕.
1181 養和1 (2) 6 平宗盛が院奏,西海・北陸道の運上物を点定して兵粮米にあてるか否かを問い,院御所殿上定めあり〔玉葉〕.
1181 養和1 3 12 高倉院に越前判官代通業らが祇候するが,閑寂の様子〔吉記〕.
1181 養和1 3 13 同月10日の墨俣河合戦で越前守方67人など390人が討取られるという〔吉記〕.
1181 養和1 3 26 藤原敦周に越前介を兼任させる〔吉記〕.
1181 養和1 3 27 藤原頼範を越前大掾に任じる〔公卿補任〕.
1181 養和1 4 21 昨日北陸道をまわり常陸国より上洛した下人あり〔玉葉〕.
1181 養和1 6 15 興福寺を造営する国々を定める.若狭に回廊4間を,越前に淡路・伊賀とともに経蔵を割りあてる〔玉葉,吉記〕.
1181 養和1 6
北陸道はみな木曽義仲の支配下に入り,北陸道追討使・越前守平通盛らの派遣も効果なし〔皇帝紀抄,一代要記〕.
1181 養和1 7 17 越中・加賀などの国人,源氏に味方し,越前にもおよぶ〔玉葉〕.
1181 養和1 7 18 越前守平通盛,北陸道に向かうとの風聞あり〔玉葉〕.
1181 養和1 8 6 越後国住人平助成の恩賞に越州を与えるべきか否かで議論あり〔玉葉〕.
1181 養和1 8 14 北陸道追討の宣旨を下す〔百練抄〕.
1181 養和1 8 15 平通盛,越前守を辞任したため,従五位下平親房を越前守に任じる〔公卿補任,吉記〕.
1181 養和1 8 15 平経正,木曽義仲追討のため北陸道に進発〔吾妻鏡〕.
1181 養和1 8 16 祈年穀奉幣の宣命で,東国の乱逆が北陸の騒動におよんだとし,その平定を願う〔吉記〕.
1181 養和1 8 16 平通盛,木曽義仲追討のため北陸道に進発〔吾妻鏡〕.
1181 養和1 8 23 加賀国の賊徒が越前国に乱入,大野・坂北両郷を焼き払う〔吉記〕.
1181 養和1 9 1 平通盛,越前国府にあって援軍を求めたとの風聞あり〔吉記〕.
1181 養和1 9 2 北陸道の賊徒の勢いが盛んで,平通盛は加賀以北を平定できず,越前国内にも命令に従わない者がいるとの風聞あり〔玉葉〕.
1181 養和1 9 4 義仲軍の先陣の根井太郎が,越前国水津(杉津)で平通盛軍と合戦〔吾妻鏡〕.
1181 養和1 9 6 平通盛,越前国で義仲軍と合戦し,当国住人新介実澄(稲津新介,稲津実澄)・平泉寺の最明(斎明)らの寝返りによって敗退〔百練抄,吉記〕.
1181 養和1 9 10 越前合戦で平氏軍破れ,平通盛,津留賀(敦賀)城まで退いて篭城し援軍を要請〔吉記〕.
1181 養和1 9 11 平教経・行盛,副将軍として北陸道へ向かうこととなるという〔玉葉〕.
1181 養和1 9 12 平通盛,津留賀城で平経正の若狭からの来援を待つが来ないため,山中に逃げ込むとの風聞あり〔玉葉〕.
1181 養和1 9 13 北陸道追討使平教経・行盛,遅々として出発せず〔玉葉〕.
1181 養和1 9 20 東国・北陸の源氏軍強く,官軍である平氏軍は弱いとの風聞あり〔玉葉〕.
1181 養和1 10 4 昨日,平維盛が北陸道攻略のため近江に向かい,また来たる11日に平知盛・清経が越前国に向かうという〔玉葉〕.
1181 養和1 10 10 越前・加賀の武士が切り塞がれた道を開き,国内に軍勢がいないが,あるいは平氏軍をおびきよせる謀略か,との風聞あり.北陸道追討使の11日の進発は13日に延期.追討軍も変更となり平知盛は下向せず,平知度・清房・重衡・資盛らが野宇美(能美)越に北陸に向かうという〔玉葉〕.
1181 養和1 10 11 越前国に軍勢なしというのはまちがいで,その勢数万におよぶという〔玉葉〕.
1181 養和1 10 24 北陸道の平氏軍,攻勢に出ようとするが無勢により延期〔玉葉〕.
1181 養和1 11 21 北陸道追討使平通盛・行盛ら帰京.ただし平経正は若狭国にとどまる(吉記は同月20日)〔吾妻鏡〕.
1182 寿永1 2 25 新平中納言(平教盛)を追討使として北陸道に出発を命じるという〔吉記〕.
1182 寿永1 3 8 非参議正三位藤原基家に越前権守を兼任させる〔公卿補任〕.
1182 寿永1 3 21 義仲軍がすでに越前国に赴いたとの風聞あり〔吉記〕.
1182 寿永1 4 21 東寺が僧雲厳(雲玄)をもとの若狭国遠敷郡太郎(太良)保の公文職に任じる〔平4021〕.
1182 寿永1 7 29 讃岐前司重季,北陸道に向かうとの風聞あり〔玉葉〕.
1182 寿永1 8 11 讃岐前司重季の使が以仁王の子を奉じて越前国に入るとの風聞あり〔玉葉〕.
1182 寿永1 8 25 北陸道追討使またもや出発せずという〔玉葉〕.
1182 寿永1 9 15 木曽義仲追討のため北陸道に発向した平氏軍,みな帰京.義仲を恐れるためという〔吾妻鏡〕.
1182 寿永1 9 20 北陸の源氏軍,近江を攻略しようとしているとの報告あり.若狭の情勢も不穏という〔吉記〕.
1182 寿永1

この年越前国大野郡牛原荘の北・南荘が布を貢納しないため,醍醐寺円光院の理趣三昧の垂布はこの年かけ替できず〔醍醐寺新要録〕.
1183 寿永2 3 17 故女院の2か所に関する処分状を奈良僧正信円に送る.そのうち1か所は越前国今泉荘〔玉葉〕.
1183 寿永2 3
山城国和束杣に北陸道兵士役と兵粮米が課されたので,杣工がその免除を領主興福寺に訴える〔平4080〕.
1183 寿永2 4 9 北陸征討のため伊勢大神宮以下16社で祈祷〔玉葉〕.
1183 寿永2 4 17 北陸道追討使として平維盛・知度・経正・清房・行盛ら,軍勢10万騎にて出発〔平家物語,皇帝編年紀〕.
1183 寿永2 4 25 源頼朝ら東国・北陸を制圧.平宗盛に追討を命じる〔玉葉〕.
1183 寿永2 4 26 伊勢大神宮に奉幣して北陸道追討使の勝利を祈る〔平4086〕.
1183 寿永2 4 26 平氏軍,越前国に攻め入るという〔玉葉〕.
1183 寿永2 4 27 平氏軍,平泉寺長吏斎明の内応により燧城と河上城を落とす〔百練抄,源平盛衰記〕.
1183 寿永2 5 2 平氏軍,斎明を先頭に長畝城を出発し加賀国へ攻め入る〔源平盛衰記〕.
1183 寿永2 5 8 平氏軍,加賀の篠原から10万余騎を2手に分けて進撃.越中との国境の礪波山に向かう.7万余騎の大将軍は越前三位平通守と平維盛〔平家物語〕.
1183 寿永2 5 9 木曽義仲,平氏を滅ぼせば越前馬場平泉寺に三十講頭を勤めるとの大願を立てる〔源平往来〕.
1183 寿永2 5 11 平氏軍,倶利伽羅峠で木曽義仲に大敗.斎明が生け捕られる〔平家物語〕.
1183 寿永2 5
倶利加羅峠の戦後,木曽義仲は気比社に葉原荘,平泉寺に藤島7郷など諸社に神領を寄進〔平家物語〕.
1183 寿永2 5 21 平氏軍,篠原の合戦で木曽義仲に敗れる.斎藤実盛討たれる〔平家物語〕.
1183 寿永2 5 23 北陸道へ援軍〔一代要記〕.
1183 寿永2 6 1 平氏軍,加賀の篠原などの合戦で木曽義仲に敗れる〔玉葉,源平盛衰記〕.
1183 寿永2 6 3 安徳天皇が10社奉幣,関東・北陸の源氏軍の追討を祈る〔吉記〕.
1183 寿永2 6 4 加賀の篠原などの合戦で平家軍完敗との知らせが京にとどく〔玉葉〕.
1183 寿永2 6 5 平氏軍完敗の子細を九条兼実が前飛騨守中原有安から聞く.4万騎の武士の過半は死傷,残りは武器を捨てて敗走という〔玉葉〕.
1183 寿永2 6 6 北陸の平氏軍むなしく帰京〔玉葉〕.
1183 寿永2 6 6 建礼門院,北陸道のことを驚き,延暦寺での千僧読経・祈祷や追討のことを指示〔吉記〕.
1183 寿永2 6 9 関東・北陸の乱逆の鎮圧についての九条兼実の申状みえる〔玉葉〕.
1183 寿永2 6
6月上旬,木曽義仲,越前国府に入る〔平家物語〕.
1183 寿永2 6 21 関東・北陸の賊徒につき山陵使を派遣〔吉記〕.
1183 寿永2 7 5 延暦寺に平氏が協力を求める願文を送る.そのなかの署名に従三位行兼越前守平通盛あり〔平家物語〕.
1183 寿永2 7 8 木曽義仲,北陸道から近江に入る〔百練抄〕.
1183 寿永2 7 10 木曽義仲,延暦寺に対して以仁王の令旨を奉じて平氏の逆乱を止めるようにとの書状を送る〔源平往来〕.
1183 寿永2 7 25 平家,安徳天皇と共に都落ち〔平家物語〕.
1183 寿永2 7 28 木曽義仲,入京〔吉記,玉葉〕.
1183 寿永2 7 30 後白河法皇の御所で議定あり.北陸道平定につき,寺社や諸人はそれぞれの北陸荘園に使者を派遣して支配するよう定める〔玉葉〕.
1183 寿永2 8 14 木曽義仲,以仁王の遺児の北陸宮の北陸戦での勲功を述べ,天皇即位を主張〔玉葉〕.
1183 寿永2 8 18 木曽義仲,なお天皇に北陸宮を推す〔玉葉〕.
1183 寿永2 8 18 後白河法皇が平氏の没宮領500余か所のうち,140余か所を木曽義仲に,90余か所を源行家に与える〔源平盛衰記〕.
1183 寿永2 9 3 北陸・山陰両道は木曽義仲が押領し,院分国以下,国司の支配が一切およばなくなっているという〔玉葉〕.
1183 寿永2 9 18 北陸宮,入京〔百練抄〕.
1183 寿永2 9 19 北陸宮明日入京との風聞あり〔玉葉〕.
1183 寿永2 9 27 後白河院庁下文にて,法金剛院領越前国今北東郡河和田荘務を預所職の院女房美濃局に執行させることを越前国在庁官人と河和田荘荘官らに命じる〔平4107〕.
1183 寿永2 10 23 木曽義仲に上野・信濃を与え,北陸を虜掠しないようにとの院宣下るという〔玉葉〕.
1183 寿永2 (10) 13 東海・東山・北陸3道の荘園・国衙領はもとのように領知するようにとの宣旨が出るが,北陸道のみは木曽義仲を恐れて宣旨を出さずという〔玉葉〕.
1183 寿永2 (10) 19 木曽義仲,後白河法皇と公卿を連れて北陸に向かうとの風聞あり〔玉葉〕.
1183 寿永2 (10) 20 木曽義仲,後白河法皇の使に対して,東海・東山・北陸道に下した宣旨に従わない者は源頼朝に追討させるとの文言があったことは,生涯の遺恨という〔玉葉〕.
1183 寿永2 (10) 23 木曽義仲,後白河法皇を連れ北陸に引き篭るとの風聞につき,事実無根との申し開きをする〔玉葉〕.
1183 寿永2 (10) 25 源頼朝,精兵5万騎(うち北陸1万騎)で木曽義仲を討つ用意を始めたとの風聞あり〔玉葉〕.
1183 寿永2 11 18 北陸宮,逃亡〔吉記〕.
1183 寿永2 11 19 木曽義仲が後白河法皇の院御所を攻め,越前守藤原信行らを殺害〔皇帝紀抄〕.
1183 寿永2 11 28 若狭守源政家らを解官〔吉記〕.
1183 寿永2 12 10 若狭守に源義経を任じる(源頼朝の弟ではない)〔吉記〕.
1184 寿永3 1 20 木曽義仲を近江粟津で源範頼・義経ら討つ.
1184 寿永3 1 22 源頼朝に平家追討の宣旨下す.
1184 寿永3 2 7 一の谷合戦.越前三位平通盛,湊川に到り,討たれる.若狭守平経俊らも討たれる〔吾妻鏡〕.
1184 寿永3 2 7 賀茂別雷社に院庁の牒を下し,同社領若狭国遠敷郡宮河荘・矢代浦での官兵と国内の武士の狼籍を停め,供祭年貢物を運上するよう命じる〔平4128〕.
1184 寿永3 2 25 東国・北国両道の国司は秋ごろ任じるよう,源頼朝から後白河上皇に申出あり〔吾妻鏡〕.
1184 寿永3 4 4 源頼朝,神護寺の若狭国遠敷郡西津荘の支配を安堵〔平4148〕.
1184 寿永3 4 24 源頼朝,賀茂別雷社領の若狭国遠敷郡宮河荘・矢代浦をはじめ,諸国の同社領の荘園の支配を安堵〔平4155〕.
1184 寿永3 5
越前国在庁官人らに院庁下文を出し,法金剛院領河和田荘を女房美濃局に領掌させるよう命じる〔平5088〕.
1184 寿永3 7 2 北陸道の東大寺領諸荘園の狼籍の停止を源頼朝が命じる〔平4158〕.
1184 寿永3 8 6 後白河法皇が東大寺領関東・北陸諸荘園を安堵〔平4159〕.
1184 寿永3 8 26 後白河法皇,粟田宮に越前国坂井郡榎富荘などを寄進〔平補148〕.
1184 寿永3 10 6 源頼朝,中原広元を別当とし,公文所を開く.
1184 寿永3 10 20 源頼朝,問注所を置く.
1184 寿永3 11 28 源頼朝,平家没官領若狭国遠敷郡玉置領を園城寺に寄進〔吾妻鏡〕.
1185 文治1 2
遠敷郡棡寺(明通寺),開発田1町2段を馬上免として仁王経講読の供料田に宛てられたいと国衙に願う〔(9)明通寺-2〕.
1185 文治1 3 24 平家,壇の浦に滅びる〔吾妻鏡〕.
1185 文治1 11
源義経に従い西国に逃れようとしていた斎藤友実が討たれる〔吾妻鏡〕.
1185 文治1 11 29 源頼朝,諸国に守護・地頭を置くことを認められる〔吾妻鏡,玉葉〕.
1185 文治1 12 27 内大臣藤原実定,源頼朝より越前の知行国主に沙汰される〔玉葉,吉記〕.
1185 文治1

この年後白河院庁の主典代安倍資良,遠敷郡西津勝載使の収益権を神護寺に寄進〔神護寺文書〕.
1186 文治2 2 20 若狭国衙在庁,遠敷郡太良保薬師寺雲に,荒野1町5段を開発し,仏聖燈油料田とすることを認める〔は-1〕.
1186 文治2 6 17 越前国主藤原実定の訴により,北条時政の眼代越後介高成の国務への妨げが停止される〔吾妻鏡〕.
1186 文治2 9 13 最勝寺領丹生郡大蔵荘地頭北条時政の代官平六時定・常陸房昌明の新儀無道が停止される〔吾妻鏡〕.
1187 文治3 2
越前国司,守覚法親王領の吉田郡河北郷内の地の国役・雑事を免除〔(2)書陵部(その他)-1〕.
1187 文治3 8 8 若狭今重保に対する御家人原宗四郎行能の押領が,最勝寺の訴えにより排除される〔吾妻鏡〕.
1188 文治4 9 3 遠敷郡松永保・宮河保の地頭として国衙の課役を非法なく勤仕すべきことが,源頼政側近の宮内大輔重頼に命じられる〔吾妻鏡〕.
1189 文治5 9 3 源頼朝,奥州藤原氏を攻め滅ぼす〔吾妻鏡〕.
1190 建久1 4 19 越前の鳥羽・得光・丹生北・春近の4か所を成勝寺執行昌寛が知行し,伊勢内宮役夫工米を納入〔吾妻鏡〕.
1190 建久1 6
吉田郡河北荘,仁和寺守覚法親王家領として成立〔(2)書陵部(その他)-2〕.
1190 建久1

この年吉田郡の初見〔(2)書陵部(その他)-2〕.
1191 建久2 2
南条郡帆山寺,七条院から法華不断経田3町3段を寄進される〔(2)曼珠院-2〕.
1191 建久2 3
遠敷郡志積浦の海人等,浦の十禅師・客人宮の祭礼のために田畠を寄進〔(9)安倍伊右衛門-1・14〕.
1191 建久2 6 22 近衛基通家領の丹生郡鮎川荘で濫行を働いた藤島三郎について,源頼朝が家人ではないと否定〔吾妻鏡〕.
1191 建久2 7
栄西,宋より帰国し,臨済宗を伝える〔興禅護国論〕.
1191 建久2 12 8 敦賀郡気比社が焼失する〔(2)東山御文庫記録-11,玉葉〕.
1192 建久3 7 12 源頼朝,征夷大将軍となる〔吾妻鏡〕.
1192 建久3 8
今立郡真柄荘,越前の分国主七条院の兄藤原信定に譲られる〔(2)醍醐寺-2〕.
1193 建久4

この年藤原信定が越前守となるが,真柄保の領有について訴訟となり,同保は無主の国領と認定される〔壬生家文書〕.
1194 建久5 12 10 吉田郡志比荘が,鎌倉殿勧農使を務めた比企朝宗により押領される〔吾妻鏡〕.
1195 建久6 9 23 吉田郡藤島荘,比叡山勧学講領となる〔玉葉〕.
1195 建久6 12 4 遠敷郡国富荘が,小槻氏が領家職を伝領する太政官厨家領として立券される〔(2)吉川半七-1〕.
1195 建久6

この年吉田郡曽万布荘民が鏡を掘り出す〔玉葉〕.
1196 建久7 6 14 敦賀郡気比社の社殿が建立される〔気比宮社伝旧記〕.
1196 建久7 6
源頼朝が若狭に派遣した雑色足立新三郎清恒に,若狭国御家人33名の交名(名簿)が注進される〔ホ-4〕.
1196 建久7 8
若狭国在庁の稲庭時定,頼朝の勘気にふれて所領を没収される〔税所次第〕.
1196 建久7 9 1 津々見(若狭)忠季に,頼朝より遠敷・三方両郡の稲庭時定跡の所領25か所が与えられる〔ヒ-276〕.
1197 建久8 10 4 幕府,保元以来の諸国叛亡者の冥福を祈り,8万4000基の塔を供養する〔鎌倉年代記〕.
1198 建久9 10
越前国守藤原信定,今立郡真柄保を立券して七条院領とする〔(2)醍醐寺-3〕.
1199 正治1 1 13 源頼朝が死去する〔吾妻鏡〕.
1199 正治1 7 2 幕府,稲庭時定の支配していた郎従・所領・百姓を若狭忠季が支配するよう命じる〔ヒ-276〕.
1200 正治2 1 2 道元が京都で生まれる〔行状記〕.
1200 正治2 2 2 遠敷・三方両郡内の荘園・公領の地頭に,若狭忠季が補任される〔ヒ-276〕.