福井県史 年表                                        


507- 701- 751- 801- 851- 901- 951- 1001- 1051- 1101- 1151- 1201- 1251- 1301- 1351-
1401- 1421- 1441- 1461- 1481- 1501- 1521- 1541- 1561- 1581- 1601- 1621- 1641- 1661- 1681-
1701- 1721- 1741- 1761- 1781- 1801- 1821- 1841- 1851- 1861- 1871- 1881- 1891- 1901- 1911-
1921-
1931- 1941- 1946- 1951- 1956- 1961- 1966- 1971- 1976- 1981- 1986- 1991-  【凡例】


西暦 和暦 事項
1401 応永8 8 24 若狭守護一色氏が守護不入地の三方郡耳西郷に人夫伝馬催促と号して乱入することを,幕府が停止〔(2)天龍寺-17〕.
1401 応永8 12
遠敷郡太良荘公文・代官,守護の課した京都普請役免除を願う〔フ-75〕.
1402 応永9 1 26 斯波満種,坂井郡春近郷内末平名を命賢禅尼の霊供田として大徳寺如意庵に寄進〔大徳寺文書〕.
1402 応永9 11 25 足羽郡安居弘祥寺が十刹に列せられる.
1403 応永10 4 10 三方郡耳西郷と同郡興道寺の用水紛争について,守護代の小笠原長春が興道寺雑掌敗訴の裁決を下す〔(2)天龍寺-24〕.
1403 応永10 6 29 幕府,遠敷郡太良荘を京済の地と認定し,守護一色氏に対し外宮役夫工米の国催促を停止〔し-226〕.
1403 応永10

この年海部泰忠が税所代を解任され,同じ在庁官人の田所(安倍)忠俊に替えられる〔税所次第〕.
1404 応永11 2 28 朝倉氏景が死去し,子息貞景が継ぐ〔朝倉系図〕.
1404 応永11 4
将軍足利義満,若狭を訪れる(3度目)〔フ-78〕.
1404 応永11 9 9 遠敷郡下金屋の大工左近,大飯郡福谷天神社の鰐口を製す〔伊射奈伎神社鰐口銘〕.
1404 応永11 11 7 遠敷郡恒枝保と上賀茂社が相論〔教王護国寺文書〕.
1405 応永12 2
若狭に大風.若狭彦社楼門など倒れる〔税所次第〕.
1405 応永12 2
遠敷郡多烏浦,浦の由留木山年貢を汲部浦が無沙汰し,交替利用の網場を独占することを守護一色氏に訴える〔秦-106〕.
1405 応永12 7 25 越前守護斯波義重,管領職に就任する〔教言卿記〕.
1405 応永12 8 3 若狭小守護代武田重信・奉行浄玖,遠敷郡明通寺に段銭以下の諸役を免除〔(9)明通寺-45〕.
1405 応永12 11 2 越前守護代甲斐将教,小守護代に坂井郡河口・坪江荘に対する役夫工米の催促停止を命令〔雑事記〕.
1405 応永12

この年遠敷郡称念寺・西林寺が建立される〔若州管内社寺由緒記〕./普済善救,白沢永幸の外護を受け,足羽郡徳尾禅林寺を開く〔日本洞上聯燈録〕.
1406 応永13 (6) 17 敦賀西福寺,斯波義将から寺領の安堵を受ける〔(8)西福寺-40〕.
1406 応永13 12 18 小笠原長春が失脚し,三方範忠が若狭守護代となる〔税所次第〕.
1407 応永14 2
遠敷郡太良荘民,山伏代官の禅慶と朝禅を訴えて逃散〔ツ-191〕.
1407 応永14 5
将軍足利義満,若狭を訪れる(4度目)〔税所次第〕.
1407 応永14 9
遠敷郡太良荘百姓,5月より8月までの旱魃・洪水・大風の被害を挙げ,検見の使者の派遣を東寺に求める〔ツ-98〕.
1407 応永14 12 6 遠敷郡太良荘代官,この頃国中の多くの半済地が停止されたと報告〔し-285〕.
1407 応永14 12 29 守護一色満範,遠敷郡明通寺の掟条々を定める〔(9)明通寺-47〕.
1407 応永14

この年三方郡早瀬浦・久々子浦の網場相論を,若狭守護代三方範忠が裁決する〔(8)上野山九十九-1〕./若狭守護一色氏が国中に徳銭を懸ける〔ツ-246〕.
1408 応永15 1 12 足羽郡禅林寺開山の普済善救が死去する〔延宝伝灯録〕.
1408 応永15 6 22 旧港(スマトラ島パレンバン)の施進卿の派遣した南蛮船が,象などの将軍への献上物を携えて小浜に来航〔税所次第,若狭郡県志〕.
1408 応永15 7 29 斯波義重,泰山府君に祈り,都状を捧げる〔(9)谷川左近-5〕.
1408 応永15 8 6 遠敷郡太良荘半済方代官の相国寺大徳院,東寺の公文・代官に隠田ありと守護に訴えるにつき,両人上洛し嘆願〔タ-72〕.
1408 応永15 11 18 小浜を出航しようとした南蛮船が大風のため中浜湊に打ち上げられ,破損〔税所次第〕.
1408 応永15 11 21 遠敷郡若狭一宮の仮殿遷宮が行われ,安倍忠俊が勅使を務める〔若狭郡県志〕.
1409 応永16 8 10 斯波義淳,管領職に就任する〔執事補任次第〕.
1409 応永16 9 16 遠敷郡太良荘公文弁祐・代官朝賢,守護一色氏より徳銭として課せられた50貫文を免除されるよう東寺に訴える〔ツ-246〕.
1409 応永16 10 1 新造の南蛮船が小浜を出航〔税所次第〕.
1409 応永16 11
若狭守護代宿所を遠敷郡開発保塩浜若王寺前へ移す〔守護職次第〕.
1410 応永17 5 7 斯波義将が死去する〔斯波系図〕.
1410 応永17 6 3 今立郡興禅寺開山で能登総持寺前住の不見明見が死去する〔日域洞上諸祖伝〕.
1410 応永17 6 9 斯波義淳,管領職を解任される〔古今令旨〕.
1410 応永17 8 29 遠敷郡開発保の安養寺が諸山に指定される〔税所次第〕.
1410 応永17 10 17 遠敷郡津々見保の年貢運送につき,山門七か所関での違乱を幕府が停止〔(2)大覚寺-4〕.
1410 応永17

この年大統一祐の弟子の伝芳良授,三方郡伝芳院を建立.
1411 応永18 9 8 守護代三方範忠,遠敷郡太良荘本所方代官職を望み拒否される〔タ-77〕.
1411 応永18 10 27 遠敷郡太良荘本所方百姓,半済方で3分1損免が認められた例を引き,半済方並の損免を要求〔ツ-102〕.
1412 応永19 3 11 坂井郡坪江上郷の山林を武曽・深町の被官人が押領したことにつき,興福寺大乗院門跡が代官に調査を命じる〔坪江郷奉行引付〕.
1412 応永19 6 22 若狭に南蛮船2艘が着岸し,小浜の問丸本阿弥のもとに宿泊する〔税所次第〕.
1412 応永19 8 29 若狭に着岸した南蛮船2艘が小浜津を発つ〔税所次第〕.
1412 応永19 11
越前国住人堀江・桑山氏ら,内膳司領坂井郡三国湊において,興福寺代官あるいは守護被官人と称して押妨すると訴えられる〔(2)桂宮家-3〕.
1412 応永19 12 3 管領細川満元,若狭守護一色義貫に小浜着岸の鉄船の公事を内裏へ直納するよう命じる〔税所次第〕.
1412 応永19

この年越前守護代甲斐将教,坂井郡河口荘の興福寺田楽頭段銭徴収を請け負う〔雑事記〕.
1413 応永20 1 13 南条郡慈眼寺開山の天真自性が死去する〔延宝伝灯録〕.
1413 応永20 1 19 越前守護斯波義重,敦賀郡西福寺への野坂荘櫛川郷地頭山内氏の寄進寺領を安堵〔(8)西福寺-48〕.
1413 応永20 1 22 遠敷郡今富名代官の石河正寿が死去し,子息の石河長祐が代官職を継ぐ〔税所次第〕.
1413 応永20 9 4 足羽郡松陰寺開山で能登総持寺前住の太初継覚が死去する〔重続日域洞上諸祖伝〕.
1414 応永21 2 18 三方範忠(常忻),税所・今富名代官となる〔税所次第〕.
1414 応永21 3
三国湊の下地と廻船交易船方諸公事関について,興福寺代官が違乱していると内膳司が訴える〔(2)東山御文庫記録-16〕.
1414 応永21 5 8 坂井郡竜沢寺梅山聞本が足利義満仏事拈香を辞退したので,重ねて斯波義重より依頼〔(4)龍澤寺-7〕.
1414 応永21 8
遠敷郡安養寺の仏殿と山門が造営される〔税所次第〕.
1414 応永21 8
坂井郡河口荘の政所・公文ら,年貢などを無沙汰し,落名や荒名を多発させたとして上洛を命じられる〔寺門事条々聞書〕.
1414 応永21 9 8 坂井郡坪江郷内出来島が阿古江領内であるかどうかにつき,興福寺内で相論〔坪江郷奉行引付〕.
1415 応永22 4 7 幕府,一色義範(義貫)らに伊勢国司の北畠満雅を討たせる〔東寺王代記〕.
1415 応永22 5 24 三方郡向陽寺住持の大等一祐が死去する〔日域洞上諸祖伝〕.
1415 応永22 5
若狭守護一色氏,遠敷郡太良荘より伊勢陣夫として人夫10人・馬1匹を4月より3番に分けて徴発〔ツ-215〕.
1415 応永22 10 31 坂井郡豊原寺根本中院南仏房,「山王一心三観相伝」の写本を得る〔史料蒐集目録〕.
1415 応永22 11 4 坂井郡坪江上郷郷民,損免を要求〔私要鈔〕.
1415 応永22 12 18 坂井郡竜沢寺梅山聞本,竜沢寺の住持次第を定める〔(4)龍澤寺-11〕.
1415 応永22 12
遠敷郡太良荘園百姓,伊勢陣夫の費用26貫786文は東寺納入年貢より控除することを要求〔ツ-289〕.
1415 応永22

この年竜室道泉の門弟の大円宗智,遠敷郡神通寺を開創〔若州管内社寺由緒記〕.
1416 応永23 11 27 坂井郡豊原寺,将軍義持の祈願所となる〔(4)豊原春雄-1〕.
1417 応永24 4 8 代官や守護役などのことで西福寺と争い逃散した敦賀郡木崎郷民の還住に関して,請人が立てられる〔(8)西福寺-60〕.
1418 応永25 2 23 大飯郡三松東市庭の住人,同郡一乗寺(中山寺)に三松山王宮大般若経田を寄進〔(9)中山寺-7・9・15〕.
1418 応永25 3 16 遠敷郡太良荘百姓が一昨年2月に狸穴を掘ったことにつき,銭壺を掘り出したとして守護が百姓を投獄〔オ-125〕.
1418 応永25 5
堀江道賢(教実),坂井郡河口荘の本庄郷満丸名と新郷鴫池の支配権を興福寺福智院栄舜と争う〔(2)福智院家-7〕.
1418 応永25 8 10 越前守護斯波義重,今立郡山本荘年貢内のうち3000疋を石清水八幡宮に寄進〔石清水神社文書〕.
1418 応永25 8 18 斯波義重が死去する〔看聞日記〕.
1419 応永26 3 29 遠敷郡太良荘百姓,この3年間百姓が自力で負担してきた守護役銭26貫文余を書き上げ,東寺の援助を求める〔オ-127〕.
1419 応永26 12 13 坂井郡榎富中荘本所方預所職が,大覚寺より,小布施正寿の援助を受けた竜沢寺に1200貫文で売却される〔(4)龍澤寺-17〕.
1419 応永26

この年越前守護代甲斐将久,坂井郡河口荘の興福寺田楽頭段銭徴収を請け負う〔雑事記〕.
1420 応永27 4 28 遠敷郡明通寺の茶園の袋配分が定まる〔(9)明通寺-48〕.
1420 応永27 5 29 敦賀郡永建寺,坊主職などの置文を定む〔(8)永建寺-4〕.
1420 応永27 7
若狭守護一色義貫,遠敷郡妙光寺に禁制を下す〔(2)松雲公-8〕.
1420 応永27 9
遠敷郡羽賀寺について,同寺を山門末寺として扶持するよう,天台座主が命ずる〔門葉記〕.