福井県史 年表                                        


507- 701- 751- 801- 851- 901- 951- 1001- 1051- 1101- 1151- 1201- 1251- 1301- 1351-
1401- 1421- 1441- 1461- 1481- 1501- 1521- 1541- 1561- 1581- 1601- 1621- 1641- 1661- 1681-
1701- 1721- 1741- 1761- 1781- 1801- 1821- 1841- 1851- 1861- 1871- 1881- 1891- 1901- 1911-
1921-
1931- 1941- 1946- 1951- 1956- 1961- 1966- 1971- 1976- 1981- 1986- 1991-  【凡例】


西暦 和暦 事項
1421 応永28 7 4 若狭税所又代官長法寺道圭,小浜問丸の訴訟により罷免される〔税所次第〕.
1421 応永28 12 14 吉田郡藤島荘が,青蓮院門跡領として将軍足利義持により安堵される〔華頂要略〕.
1422 応永29 7 4 足羽郡和田荘について,葉室宗豊が将軍足利義持に同荘の知行安堵を訴え,認められる〔(2)東山御文庫記録-18〕.
1422 応永29 11 25 斯波義淳,坂井郡河口荘細呂宜郷下方の長慶寺・地蔵院を祈祷所とし,長慶寺の名田・山林などを安堵〔雑事記〕.
1423 応永30 8 22 敦賀郡西福寺が将軍足利義持の祈願寺となる〔(8)西福寺-76〕.
1423 応永30 12 21 遠敷郡太良荘代官,守護代三方範忠の若狭下向時の雇夫代1貫500文を注進〔ハ-145〕.
1424 応永31 7 3 三方郡丹生浦,隣の竹波に売却した先祖相伝浦山内私領を書き上げ,絵図を作成〔(8)丹生区有-2〕.
1425 応永32 8 18 遠敷郡明通寺が延暦寺との本末関係を復活させ,坊領以下一切を延暦寺に寄進〔(9)明通寺-52〕.
1426 応永33 10 5 敦賀郡気比社社司と執当らが合戦し,北陸道が不通となる〔薩戒記〕.
1426 応永33 11 25 遠敷郡太良荘道性,荘内小野寺本堂の鰐口を寄進する〔小野寺鰐口銘〕.
1427 応永34 6
日蓮宗日従,足羽郡一乗谷に正法寺を創建〔本勝寺歴譜〕.
1427 応永34 8 15 遠敷郡太良荘道性,大願主として荘内の八幡宮を造営〔日枝神社棟札〕.
1427 応永34 11 10 遠敷郡太良荘百姓,9月以来守護一色氏が近江陣の野伏として徴発した15人分の費用の支出を東寺に求める〔フ-222〕.
1427 応永34

この年坂井郡豊原寺の衆徒と山伏が合戦し,山伏らが敗北〔年代記残編〕.
1428 正長1 8 2 斯波義淳,困窮のため下国を試みるが,甲斐氏により止められる〔満済准后日記〕.
1428 正長1 11 11 京郊各地に徳政一揆おこる〔大乗院日記目録〕.
1428 正長1 12
遠敷郡太良荘代官乾嘉・百姓,公文職・内御堂供僧職・勧心名主職に補任された前代官朝賢の非法を挙げて排斥〔ハ-156〕.
1428 正長1

この年若狭で徳政を主張する「土一揆」が蜂起する〔し-200〕.
1429 永享1 2 22 遠敷郡太良荘百姓,代官乾嘉を排斥〔し-200〕.
1429 永享1 6
遠敷郡太良荘代官快光・公文朝賢ら,同荘の検注を行う〔フ-95,と-92〕.
1429 永享1 8 24 斯波義淳,将軍足利義教より管領に任じられる〔満済准后日記〕.
1429 永享1

この年遠敷郡小浜青井に浄土宗誓願寺が建立される〔若狭郡県志〕.
1430 永享2 2
敦賀郡西福寺,本寺浄華院と連携を強化〔(8)西福寺-87〕.
1430 永享2 12 9 将軍足利義教,西福寺を将軍家祈願寺とし,西福寺領を安堵〔(8)西福寺-93・94〕.
1431 永享3 1 8 伏見宮家領遠敷郡松永荘で半済が停止される〔看聞日記〕.
1432 永享4 10 10 斯波義淳,管領職を辞任〔満済准后日記〕.
1432 永享4

この年遠敷郡太良荘地頭方の「くたた」(朽田か)に排水手段が採られる(1447年まで)〔ハ-229〕.
1433 永享5 9 3 遠敷郡松永荘の荘民,旱損による減免を求めて同荘代官のもとに列参〔看聞日記〕.
1433 永享5 12 1 斯波義淳が死去し,将軍義教の意向により弟の相国寺瑞鳳(義郷)が還俗して跡を継ぐ〔師郷記〕.
1433 永享5 12
将軍足利義教の申入れにより,後花園天皇が坂井郡高椋郷を入江殿に与える〔県立博物館所蔵文書,看聞日記〕.
1434 永享6 5 18 気比社造営費として,斯波氏分国の尾張・駿河に段銭を賦課することを幕府が認める〔(2)東山御文庫記録-19〕.
1434 永享6 7 2 遠敷郡太良荘の諸役免除・守護使不入が認められる〔せ-武72〕.
1434 永享6 8 19 若狭守護代三方範忠が若狭に,越前守護代甲斐将久らが越前に下り,山門領を没収しようとする〔看聞日記,東寺執行日記〕.
1435 永享7 2 21 越前猿楽の福来ら,京都室町将軍第において観世流の音阿弥と競演〔看聞日記〕.
1435 永享7 3 4 将軍足利義教,飛鳥井家への丹生郡田中荘の返付を小倉宮に命じる〔満済准后日記〕.
1435 永享7 3 27 遠敷郡羽賀寺の堂舎が焼失〔(9)羽賀寺-55〕.
1435 永享7 4 5 小浜長源寺日源,住持職を日顕に譲り,遺跡についての規式を弟子たちに定め置く〔(9)長源寺-1〕.
1435 永享7 8 11 遠敷郡安賀荘が延暦寺根本中堂造営料所とされ,幕府御倉の正実・将運が奉行となる〔(2)尊経閣文庫-29〕.
1435 永享7

この年敦賀郡気比社が今庄関所を直務支配に復したいと申し出る〔気比宮社伝旧記〕.
1436 永享8 4
遠敷郡羽賀寺の本堂が,奥州十三湊の安倍康季の助力により再建される〔(9)羽賀寺-55〕.
1436 永享8 6 20 三方郡久々子村と早瀬浦の百姓たちが,伊切山と付近の磯海をめぐり争い,早瀬浦が勝訴〔(8)上野山九十九-1〕.
1436 永享8 8 6 今立郡日円寺の素首座,新住持の公文を願い出る〔蔭凉軒日録〕.
1436 永享8 9 30 斯波義郷が死去する〔看聞日記〕.
1437 永享9 4 12 大和で斯波氏の家人二宮氏らが越知氏らの軍勢に襲われ,越前国人が討死する〔師郷記〕.
1437 永享9 7 22 若狭守護一色氏が遠敷郡太良荘に課した大和発向陣夫が停止される〔ゐ-64〕.
1437 永享9 8 24 敦賀郡気比社に願文を進めることが検討される〔薩戒記〕.
1437 永享9 11 8 三方氏の小守護代松山乗栄,遠敷郡国富荘の半済停止を認めないとして荘に入部し,女・童子を召し取る〔壬生家文書〕.
1437 永享9 12 24 小守護代松山が遠敷郡国富荘内の酒屋などを検封し,資財を西津に運び去る〔壬生家文書〕.
1437 永享9

この年小浜に本承寺が成立する〔若州管内社寺由緒記〕.
1438 永享10 5 1 大飯郡青保の保内おとなが,池田西東山を一乗寺に寄進〔(9)中山寺-9〕.
1438 永享10 7 20 遠敷郡津々見保の年貢運送につき,大杉関での違乱を停止する〔(2)大覚寺-5〕.
1438 永享10 8 19 遠敷郡太良荘御影堂別当職に侍従公が補任される〔(9)長英寺-3〕.
1439 永享11 1 13 三方郡二十八所社の四月一つ物の稚児を籤で定める〔(8)園林寺-32〕.
1439 永享11 7 30 今立郡鯖江荘内の誠照寺敷地・寺領が,田那部六郎左衛門入道の違乱を退け,守護下知に任せて安堵される〔(5)誠照寺-5〕.
1439 永享11 9 5 丹生郡祥瑞寺が訴論をおこし,幕府は祥瑞寺をはじめとする大衆(僧侶)に対して理に付くべき旨を命ずる〔蔭凉軒日録〕.
1439 永享11 11 7 将軍足利義教,坂井郡河口荘兵庫郷を守護使不入の地とする〔雑事記〕.
1439 永享11

この年越前守護代甲斐将久,坂井郡河口荘の名を落とし取って家臣に知行させる〔雑事記〕.
1440 永享12 1
大野郡小山荘の郷・村の百姓,年貢や寺社免田などを記した指出を領主春日社の代官に提出(4月まで)〔(2)保井家-5〕.
1440 永享12 3 30 大平久貞,大野郡平泉寺勝道坊の負物につき幕府に訴える〔政所方書〕.
1440 永享12 5 15 足利義教の命を受け,武田信栄・細川持常らが大和の陣所で一色義貫・土岐持頼を討つ.武田信栄,一色氏に替わり若狭守護となる〔師郷記,斎藤基恒日記〕.
1440 永享12 6 29 若狭守護職を得た武田信栄が若狭に下向する〔師郷記〕.
1440 永享12 7 23 若狭守護武田信栄,病気と邪気のため死去する〔師郷記〕.
1440 永享12 9 14 越前守護代甲斐将久,官務家領南条郡中津原村の預所職を中津原是禎に安堵するよう,壬生晨照に要請〔壬生家文書〕.
1440 永享12 10 5 足羽郡殿下百姓ら,今村周防の負物につき幕府に訴える〔政所方書〕.
1440 永享12 12 27 丹生郡織田荘内在林房が南条郡大塩保内好久谷百姓道通を,南条郡春日野内吉祥庵是慶が同郡白崎百姓5人を,それぞれ負物につき幕府に訴える〔政所方書〕.