福井県史 年表                                        


507- 701- 751- 801- 851- 901- 951- 1001- 1051- 1101- 1151- 1201- 1251- 1301- 1351-
1401- 1421- 1441- 1461- 1481- 1501- 1521- 1541- 1561- 1581- 1601- 1621- 1641- 1661- 1681-
1701- 1721- 1741- 1761- 1781- 1801- 1821- 1841- 1851- 1861- 1871- 1881- 1891- 1901- 1911-
1921-
1931- 1941- 1946- 1951- 1956- 1961- 1966- 1971- 1976- 1981- 1986- 1991-  【凡例】


西暦 和暦 事項
1561 永禄4 1 1 武田義統の軍と逸見昌経,大飯郡和田で合戦〔(2)白井家-27〕.
1561 永禄4 4 5 若狭から出奔した武田信豊,羽賀寺池坊による祈念により帰国が可能となったことを感謝し,多聞院の院号を贈る〔(9)羽賀寺-28〕.
1561 永禄4 4 6 朝倉義景,坂井郡棗荘大窪ノ浜において犬追物を興行〔朝倉始末記〕.
1561 永禄4 6 2 朝倉氏,若狭出陣祈念を丹生郡横根寺など国内の寺庵に命令〔(6)青山五平-3〕.
1561 永禄4 6
武田氏家臣の逸見昌経,松永長頼と結び離反〔厳助往年記,(9)大成寺-4〕.
1561 永禄4 7 11 朝倉義景,三条西公条を介して一乗谷赤淵大明神縁起の外題染筆を正親町天皇に求める〔御湯殿上日記〕.
1561 永禄4 8 15 逸見昌経,朝倉・武田氏の攻撃を受け高浜城より退却〔当国御陳之次第〕.
1561 永禄4 9 17 今立郡水落町人,町の苦境を理由に水落社祭礼の山を忌避するも,朝倉義景が強く執行を命じる〔(5)瓜生守邦-33〕.
1561 永禄4 10 28 専修寺尭恵に対抗する勝鬘寺など越前高田派4か寺が,専修寺真智を越前に迎えて仏事を行おうとする〔(2)専修寺-17〕.
1561 永禄4 11 21 武田信豊,三方郡藤井保領家分の買得地を没収するが,小浜西福寺買得分は由緒にまかせ安堵〔(9)西福寺-62〕.
1562 永禄5 5 20 武田氏家臣の大塩氏と南部氏が遠敷郡尾崎村で戦い,大塩氏が敗北する〔若狭記〕.
1562 永禄5 8 21 朝倉義景,大覚寺義俊らを迎えて曲水宴を催し,「一乗谷曲水宴詩歌」成る.
1562 永禄5 9 16 朝倉義景,赤淵大明神縁起の染筆の礼銭を内裏に贈る〔御湯殿上日記〕.
1562 永禄5 11 10 大野郡石徹白の朝倉氏給人・百姓に対し,山中棟別銭が徴収される〔(2)石徹白徳郎-3〕.
1562 永禄5 12 14 丹生郡剣神社領において本役や内徳の納入を怠っている給人・作職中に対し,朝倉氏が納入を厳命〔(5)劒神社-49〕.
1563 永禄6 5 29 府中奉行人青木景忠,敦賀善妙寺領名田の川成り不足分は国中法令に従い盛増で納入するよう命じる〔(8)善妙寺-3〕.
1563 永禄6 8 23 朝倉義景,「秋十五番歌合」を催す.
1563 永禄6 9 2 敦賀の朝倉勢,三方郡佐柿国吉城攻撃を開始.国吉城主粟屋越中守配下の山東十郎・田辺半大夫らが佐田付近で防戦し退ける〔若州国吉篭城記〕.
1564 永禄7 3 1 武田義統,若狭金屋職に商売銭は徳政延公事扱いとし,また他国鋳物の排除の特権を安堵〔(9)芝田孫左衛門-6〕.
1564 永禄7 9 12 朝倉義景軍が加賀に侵攻し,能美郡本折・小松を攻略〔当国御陳之次第〕.
1564 永禄7 10 16 三国滝谷寺が寺法を定め,義景が安堵〔(4)滝谷寺-100〕.
1564 永禄7 12 13 武田義統,一代一度の徳政棟別銭を大330文,中220文,小110文に分けて課す〔神宮寺桜本坊日記〕.
1565 永禄8 2 28 上杉輝虎(謙信),去年朝倉氏と盟約した加賀侵攻が実行できなくなった理由を述べる〔歴代古案〕.
1565 永禄8 3 3 観世小次郎信光,小浜塩浜小路で勧進能を興行〔神宮寺桜本坊日記〕.
1565 永禄8 5 19 将軍足利義輝,三好義継・松永久秀らに暗殺される〔言継卿記〕.
1565 永禄8 7 28 前将軍義輝の弟の一乗院覚慶,朝倉義景とも連絡をとり,近江和田惟政のもとへ逃げる〔上杉家文書〕.
1565 永禄8 8 14 朝倉氏家臣前波吉継,近江の一乗院覚慶の越前入国の意図を知り,加賀と対立中であることを挙げて難色を示す〔和田家文書〕.
1565 永禄8 12 24 南条郡河野浦と池太良の境界相論を朝倉氏が裁決する〔(6)中野貞雄-4〕.
1565 永禄8 12 30 朝倉義景,足羽郡三か庄の慶松太郎三郎に諸役免除などの定書を与える〔(3)慶松勝三-5・6〕.
1566 永禄9 4 8 三方郡上瀬宮田楽頭に差定されていた一宮氏が頭役を拒否したため,1か月遅れて神事が行われる〔(8)宇波西神社-18〕.
1566 永禄9 7 26 若狭の「せいくわん寺」が,香衣を申請する〔御湯殿上日記〕.
1566 永禄9 8 29 足利義秋(一乗院覚慶が還俗),武田義統を頼り若狭に赴く〔多聞院日記,言継卿記,(2)古簡-1〕.
1566 永禄9 (8) 24 武田義統に対し子の元明を擁する軍勢が小浜を攻撃するが,退却する〔(2)本郷-166,(9)大成寺-8,多聞院日記〕.
1566 永禄9 (8) 28 坂井郡本庄郷春日社の社僧・百姓が売却した神田を取り返し神事を行うよう,朝倉氏が命令〔(4)大連三郎左衛門-5〕.
1566 永禄9 9 8 足利義秋,敦賀に移る〔上杉家文書〕.
1566 永禄9 9
熊谷統直,武田義統に背く者に一味しないこと,また武田信方の指令に従うことを起請文で誓う〔(9)大成寺-2〕.
1566 永禄9 11 22 武田義統,足利義秋を尋ね,若狭鍛冶惣五郎作の太刀を贈る〔若狭国志伴信友註〕.
1566 永禄9 11 24 武田義統,白井勝胤に遠敷郡山下名を与え,今度の逐電人の買得地も聞出し次第に知行することを認める〔(2)白井家-45〕.
1566 永禄9 12 22 敦賀郡善妙寺,寺領の収納・百姓の処罰・塔頭役・修理などについて7か条からなる法度を定め,郡司朝倉景恒の保証を得る〔(8)善妙寺-21〕.
1567 永禄10 3 12 坂井郡の有力国人堀江景忠,朝倉義景に対して謀反.景忠に味方する加賀勢が,金津上野で朝倉軍と合戦〔(2)野村家-1,儀俄甚一郎氏-1など〕.
1567 永禄10 4 8 武田義統が死去する〔武田系図〕.
1567 永禄10 7 27 武田信方が武田氏当主に背いたため,信方配下の白井光胤・勝胤らが信方のもとを離れる〔(2)白井家-48〕.
1567 永禄10 11 14 朝倉氏と加賀一向一揆の和平がすすみ,双方が撤兵する〔安楽山産福禅寺年代記〕.
1567 永禄10 11 18 若狭の禁裏料所の公用の沙汰について,朝倉氏が依頼を受ける〔晴右記〕.
1567 永禄10 11 22 足利義秋,敦賀から一乗谷安養寺へ移る〔朝倉始末記〕.
1567 永禄10 12 25 足利義秋,義景屋形を訪ねる〔朝倉始末記〕.
1568 永禄11 1 17 足利義秋の仲裁により,朝倉氏と加賀一向一揆の和睦が成立する〔多聞院日記〕.
1568 永禄11 4 7 織田信長,大飯郡本郷を本郷信富に安堵〔(2)本郷-171〕.
1568 永禄11 4
足利義秋,一乗谷の朝倉義景館において元服し,義昭と改名〔朝倉始末記〕.
1568 永禄11 4
敦賀川舟座,朝倉氏などへの奉仕の事例を挙げ,越前諸浦へ出入禁止とされたことの解除を求める〔(8)道川-5〕.
1568 永禄11 5 17 足利義昭,朝倉館を訪問し,歓待の宴が催される〔朝倉義景亭御成記〕.
1568 永禄11 7 24 足利義昭,朝倉義景の忠義を賞し,越前を立って,美濃の織田信長のもとへ赴く〔朝倉家記所収文書〕.
1568 永禄11 8 7 織田信長,上洛を意図して朝倉義景に対し近江佐和山城への出兵を要請するが,義景応ぜず〔永禄記ほか〕.
1568 永禄11 8
朝倉氏,遠敷郡に兵を進め,武田元明を越前へ連れ去る〔若州国吉篭城記〕.
1568 永禄11 9 26 織田信長,足利義昭を擁して入京〔言継卿記〕.
1568 永禄11 11 5 足羽郡の北庄橋の修理が計画され,朝倉氏が国内に用材提供を求める〔(5)瓜生守邦-36〕.
1568 永禄11 11 10 若狭板屋孫七郎,頼子の出資人名を書き出し,費用精算の集来の日を毎年この日に定める〔(9)高鳥甚兵衛-18〕.
1569 永禄12 3 8 幕府,遠敷郡神宮寺に禁制を発する〔(9)神宮寺-53〕.
1569 永禄12 4
朝倉氏と本願寺,最終的に和議締結〔顕如上人文案〕.
1569 永禄12 6 1 三方郡世久見浦惣中,熊谷治部大夫より課された金子納入のため,枕網網堵三度目の権利を売却〔(8)渡辺市左衛門-12〕.
1569 永禄12 6 10 廻国中の連歌師里村紹巴,後瀬山城下の守護館を訪れる〔天橋立紀行〕.
1570 元亀1 2 12 敦賀郡司,永厳寺より寺庵五分一米を徴収〔永厳寺文書〕.
1570 元亀1 2 20 足羽郡天沢寺景厳が大僧正に任じられる〔壬生家四巻之日記〕.
1570 元亀1 4 20 大飯郡の武藤氏,織田信長の攻撃を受けて降伏し,城を破却される〔毛利家文書〕.
1570 元亀1 4 25 織田信長,若狭西往還を通り敦賀郡天筒城・金ケ崎城を攻略〔言継卿記〕.
1570 元亀1 4 30 近江の浅井長政の離反により,信長が越前より撤兵〔言継卿記〕.
1570 元亀1 5 11 朝倉義景,近江浅井氏のもとに援兵を送る〔朝倉始末記〕.
1570 元亀1 6 28 近江姉川において,朝倉・浅井軍と織田・徳川軍が合戦〔朝倉始末記〕.
1570 元亀1 6
朝倉景鏡,美濃の垂井・赤坂を焼く〔朝倉始末記〕.
1570 元亀1 9 12 本願寺顕如,諸国の門徒に反信長の一揆蜂起を促す〔尋憲記ほか〕.
1570 元亀1 9 20 朝倉義景軍と浅井長政軍,近江坂本に出陣し,信長弟の信治・志賀城主森可成らを討ち取る〔(2)歴代古案-4〕.
1570 元亀1 10 20 朝倉義景軍と浅井長政軍が,山城修学寺・一乗寺・松崎等を焼く〔言継卿記,尋憲記〕.
1570 元亀1 10
朝倉義景,近江上坂本に本陣を進める〔(2)歴代古案-4〕.
1570 元亀1 11 26 朝倉景鏡・浅井軍,近江堅田の信長軍を攻略〔(2)歴代古案-4など〕.
1570 元亀1 12 13 近江で対陣中の朝倉義景と織田信長が二条晴良の仲介で和平し,双方とも人質を出して撤兵する〔尋憲記〕.
1570 元亀1 12 22 遠敷郡矢代浦刀祢が百姓中と争うが,仲裁人の意見を容れて4か条に同意し,和睦する〔(9)栗駒清左ヱ門-21〕.
1570 元亀1 12
山県秀政,小浜長源寺の3か条を裁決し,出仕せず連判に名を連ねて寺を破ろうとする動きを禁止〔(9)長源寺-30〕.
1571 元亀2 1 21 敦賀郡名子浦,売り物鰯の捕獲を期待して網入れ期間3か月延長を縄間浦に懇願し,特別に許される〔(8)山本計一-1〕.
1571 元亀2 4 2 敦賀郡五幡浦などが朝倉氏の事情聴取に対し,近江塩商人に獺谷道通行が認められるべきだと答える〔(8)刀根春次郎-7〕.
1571 元亀2 5 26 丹生郡剣神社領における瓦屋源珍分など百姓・寺庵の売買作得分を朝倉氏が没収し,織田寺社に寄進〔(5)劒神社-53・54〕.
1571 元亀2 6 11 本願寺顕如,子の教如と朝倉義景娘との婚儀が調ったことを祝う〔顕如上人文案〕.
1571 元亀2 6
越前白山別山大行事権現に対し織田信長が鰐口を寄進し,信長家臣の菅屋長頼が白山中居神社に禁制を掲げる〔石徹白観音堂鰐口銘〕.
1571 元亀2 9 1 越前曲舞,奈良興福寺大乗院で曲舞(幸若舞)を演舞〔尋憲記〕.
1571 元亀2 9 12 織田信長,比叡山延暦寺を攻撃し焼く.
1571 元亀2 10 7 朝倉義景,祈願所小浜長源寺の地子銭を免除〔(9)長源寺-32〕.
1571 元亀2 10 8 朝倉義景,遠敷郡神宮寺の寺領目録を安堵〔(9)神宮寺-53〕.
1571 元亀2 11 24 顕如,朝倉義景・浅井長政・久政に,協力して近江北郡の安全をはかるよう依頼〔顕如上人文案〕.
1571 元亀2 12 18 今立郡西泉坊栄舜,長泉寺元三大師寄進・買得地の安堵を義景に求める(翌年2月23日に安堵)〔(5)中道院-2〕.
1571 元亀2 12
織田信長方の熊谷氏により三方郡倉見荘が押領されたことについて朝倉氏が武田信方から訴えを受け,朝倉氏はその裁決を足利義昭にゆだねる〔(2)浜田勝次-1,尊経閣文庫-81〕.
1572 元亀3 3 12 朝倉義景娘と本願寺教如との婚姻につき,顕如が返礼〔顕如上人文案〕.
1572 元亀3 5 14 朝倉氏,南条郡河野・今泉浦に白鬼女船橋の役を免除〔(6)西野次郎兵衛-66〕.
1572 元亀3 5 15 陰陽頭土御門有脩,月蝕の祈祷のため若狭から京都に赴く〔御湯殿上日記〕.
1572 元亀3 5 27 朝倉氏,近江北郡出兵の兵粮米のため棟別銭を課す〔(4)御前神社-5〕.
1572 元亀3 6
本願寺顕如,朝倉義景に浅井氏支援のため,信長方への守備を勧める〔顕如上人文案〕.
1572 元亀3 6
朝倉義景,焼討ちを受けた日吉山王社への寄進のため,越前国内諸商買人に役銭を課す〔(4)浄光寺-4〕.
1572 元亀3 7
織田信長,近江浅井氏を攻撃.朝倉義景,浅井支援のため出陣〔朝倉始末記〕.
1572 元亀3 8 8 義景家臣前波吉継,信長方となり,ついで富田長繁らも信長陣に走る〔朝倉始末記,(3)片岡五郎兵衛-3〕.
1572 元亀3 12 3 朝倉義景が越前へ兵を戻す〔年代記抄節〕.
1572 元亀3 12 15 朝倉義景,興福寺大乗院尋憲の要求により,坂井郡河口荘給人に同荘年貢を督促する〔尋憲記〕.
1572 元亀3 12 19 某勝行,遠敷郡羽賀村の合戦において西川久介が戦死したことを賞し,徳千代に遺跡を安堵〔(9)西川学-1〕.
1572 元亀3 12 21 朝倉氏,三国滝谷寺より十分一米を徴収〔(4)滝谷寺-115〕.
1572 元亀3 12 28 遠江三方原で勝利した武田信玄,朝倉義景の近江よりの撤兵を知り,信長討滅の機会を逸したと非難〔(2)伊能-1〕.
1573 天正1 2 13 足利義昭,織田信長に敵対する態度を明らかにし,朝倉義景・浅井長政に支援の御内書を下す〔勝興寺文書〕.
1573 天正1 3 11 朝倉義景,敦賀まで出陣〔越州軍記〕.
1573 天正1 3
朝倉義景,織田信長の越前侵入を警戒して敦賀に出陣し,次いで三方郡佐柿付近まで侵攻する〔朝倉始末記〕.
1573 天正1 4 13 朝倉義景,今立郡の土豪木津宗久の買得地を安堵〔(6)木津靖-1〕.
1573 天正1 4 13 朝倉義景,朝倉貞景の先例にならい敦賀郡西福寺領を安堵し,5か条の禁制を掲げる〔(8)西福寺-233〕.
1573 天正1 4 18 朝倉義景,敦賀郡善妙寺領を安堵し禁制を発する〔(8)善妙寺-23〕.
1573 天正1 5 10 朝倉義景,敦賀より一乗谷に帰陣〔朝倉始末記〕.
1573 天正1 6 19 朝倉義景,丹生郡の土豪岩本連満の買得地を安堵〔木下喜蔵家文書〕.
1573 天正1 7 2 今立郡長泉寺領の御判十分一米を朝倉氏が徴収〔(5)中道院-3〕.
1573 天正1 7 17 朝倉義景,浅井氏救援のため一乗谷を出陣〔越州軍記〕.
1573 天正1 8 13 朝倉義景,近江より退却中に刀根坂で信長軍の追撃を受け大敗〔小川文書,信長公記,越州軍記,朝倉始末記〕.
1573 天正1 8 16 朝倉義景,一乗谷へと敗走し,さらに大野郡洞雲寺に入る〔(2)本願寺-2,朝倉始末記〕.
1573 天正1 8 20 朝倉義景,一族の景鏡の裏切りにより,大野郡山田荘の六坊賢松寺で自殺〔小川文書,朝倉始末記〕.
1573 天正1 8
若狭の粟屋勝久,一乗谷で得た空海筆愛染明王を三方郡佐柿青蓮寺へ,八十一難経版木を敦賀郡西福寺に寄進する〔粟屋勝久戦功記〕.
1574 天正2 1 6 織田信長,幸若八郎九郎に越前で領地を与える〔桃井安宅氏所蔵文書〕.
1574 天正2 1 18 吉田郡志比荘の一向一揆蜂起〔朝倉始末記〕.
1574 天正2 1 20 富田長繁ら,一乗谷で前波長俊を討つ〔朝倉始末記〕.
1574 天正2 1 28 一向一揆勢,加賀より七里頼周を大将として招く〔朝倉始末記〕.
1574 天正2 1 29 長繁,南条郡慈眼寺に制札を下す〔慈眼寺文書〕.
1574 天正2 1
信長,北庄の橘屋三郎五郎に唐人座・軽物座の支配を安堵〔橘栄一郎家文書〕.
1574 天正2 2 8 結城秀康,遠江国宇布見村で生まれる〔家譜〕.
1574 天正2 2 18 長繁,越前国中の一揆勢の攻撃をうけ敗死〔朝倉始末記〕.
1574 天正2 2
本願寺,惣大将として下間頼照を派遣〔朝倉始末記〕.
1574 天正2 2 20 頼照,坂井郡竜沢寺に安堵状を出す〔龍澤寺文書〕.
1574 天正2 2 21 丹羽長秀,小浜西福寺に寺領を安堵〔西福寺文書〕.
1574 天正2 2 28 一向一揆勢,大野郡平泉寺を攻撃するが敗れる〔朝倉始末記〕.
1574 天正2 4 2 本願寺顕如,再び挙兵.
1574 天正2 4 14 南袋・北袋・七山家の一向一揆勢,勝山村岡山に築城〔朝倉始末記〕.
1574 天正2 4
一向一揆勢,平泉寺を焼討ち〔朝倉始末記〕.
1574 天正2 6
一向一揆勢,木ノ芽城の阿閉貞征を攻撃.
1574 天正2 7 20 信長,高田専修寺・朝倉景健・堀江藤秀などに与同を促す〔法雲寺文書〕.
1574 天正2 7
頼照ら,一向一揆の指導者を討ち取る.
1574 天正2 9 7 頼照,三輪藤兵衛の知行分を安堵〔松雲公採集遺編類纂〕.
1574 天正2 9
信長,長島の一向一揆を滅ぼす.
1574 天正2 10 9 七里頼周,南条郡三尾河内で指出を徴収〔勝授寺文書〕.
1574 天正2 11 25 大蔵新三,三国滝谷寺の神羽寺などに制札の礼銭を催促〔滝谷寺文書〕.
1574 天正2 (11) 19 吉田郡の一向一揆勢,坂井郡豊原寺の頼照を攻撃し大敗〔朝倉始末記〕.
1574 天正2 (11) 19 長秀,武田氏旧臣白井氏に遠敷郡賀茂荘の代官職を安堵〔白井家文書〕.
1574 天正2 (11) 22 長秀,遠敷郡の金屋中に若狭国金屋職を安堵〔芝田孫左衛門家文書〕.
1574 天正2 12 15 三国滝谷寺,寺領の年貢・地子の指出を下間らに提出〔滝谷寺文書〕.
1574 天正2 12 18 頼照,越前諸寺の領知を安堵〔洞雲寺文書など〕.
1574 天正2 12
足羽郡東郷安原村の鑓講,足羽郡司下間和泉守を攻撃するが敗退〔朝倉始末記〕.
1574 天正2

この年一向一揆勢,永平寺を焼討ち〔朝倉始末記〕./大野戌山城主朝倉景鏡,一向一揆との合戦に巻き込まれ討死.
1575 天正3 5
織田信長と徳川家康,三河長篠に武田勝頼を破る.
1575 天正3 6 6 信長,大野郡の日蓮門徒・三門徒に与同を求める〔誠照寺文書〕.
1575 天正3 7 23 金森長近,大野郡の高田派専福寺や国侍野尻氏などに与同を求める〔友兼専福寺文書〕.
1575 天正3 8 14 信長,敦賀に入る〔朝倉始末記〕.
1575 天正3 8 15 信長軍,木ノ芽峠と杉津口の二手から攻撃開始〔泉文書〕.
1575 天正3 8 16 信長,諏訪三郎に領知朱印状を交付〔水島伝左衛門家文書〕.
1575 天正3 8
大町専修寺賢会,鉢伏城において信長の攻撃にあい討死.
1575 天正3 8 22 本願寺顕如,信長の越前侵入にあたって勝山の北袋53か村へ忠節を求める〔西念寺文書〕.
1575 天正3 8 29 大乗院門跡尋憲,信長に興福寺領河口荘・坪江郷の回復を求める〔多聞院日記,山田竜治家文書〕.
1575 天正3 8 29 幸若,坂井郡豊原寺の信長陣で「烏帽子折」を舞う〔山田竜治家文書〕.
1575 天正3 8
信長,越前一向一揆を平定〔山田竜治家文書〕.
1575 天正3 9 2 信長,坂井郡豊原寺を焼き払い,北庄に移る〔朝倉始末記〕.
1575 天正3 9 2 信長,勝家に越前8郡,前田利家ら府中三人衆に2郡,金森長近と原政茂に大野郡,武藤舜秀に敦賀郡を与える〔信長公記〕.
1575 天正3 9 8 北庄・石場・木田惣老ら,上杉謙信の加賀出馬を聞き河田豊前守へ書状を送る〔内閣文庫所蔵文書〕.
1575 天正3 9 11 柴田勝豊,坂井郡豊原寺の城の守備を命じられる〔山田竜治家文書〕.
1575 天正3 9 23 信長,府中三人衆に対し宛行う2郡内の織田社以外の寺社領の没収を指示〔松雲公採集遺編類纂〕.
1575 天正3 9 29 勝家,北庄橘屋三郎左衛門に唐人座・軽物座の支配を安堵〔橘栄一郎文書〕.
1575 天正3 9 29 勝家,中野門徒に諸役を免除〔専念寺文書〕.
1575 天正3 9
信長,禁制を越前各地に与える〔山田竜治家文書など〕.
1575 天正3 9
勝家,信長の禁制に添えて定を出す〔龍澤寺文書,御前神社文書〕.
1575 天正3 10 2 府中三人衆,高瀬村宝円寺の寺敷と南条郡慈眼寺の霊供米を安堵〔寳圓寺文書,慈眼寺文書〕.
1575 天正3 10 12 勝家,坂井郡熊坂専修寺に三か荘への移住を命じる〔法雲寺文書〕.
1575 天正3 10 12 府中三人衆,大滝紙屋衆の独占権を許可〔大滝神社文書〕.
1575 天正3 10
下間頼照,坂井郡下野村で高田派黒目称名寺門徒に討たれる〔称名寺文書〕.
1575 天正3 10 18 勝家,高田派黒目称名寺に黒目村などの人々の武装を命じる〔称名寺文書〕.
1575 天正3 10 26 金森長近,大野岫慶寺の領知を安堵〔岫慶寺文書〕.
1575 天正3 10 27 勝家,越前の領主に本知行分の引渡しを開始〔松井文書〕.
1575 天正3 10
勝家,翌月にかけて領内有力寺社に定書・判物を下す.
1575 天正3 10
本願寺顕如,信長と和睦〔本願寺史〕.
1575 天正3 11 20 勝家,足羽郡大味の西蓮寺に来春北庄で寺を建立するよう命じる〔西蓮寺文書〕.
1575 天正3 12 8 大野郡皿谷村など7か村,本願寺派から高田派への転派を金森長近に誓う〔稱名寺文書〕.
1575 天正3 12 26 長近・原政茂,大野郡中の鍛冶座の特権を承認する〔てっぽうや文書〕.
1575 天正3 12
府中三人衆,慈眼寺・織田社などに領知を安堵〔慈眼寺文書など〕.
1575 天正3

この年長近,大野戌山城に入り,町づくりを開始./勝山町,柴田義宣により旧袋田村を中心に開かれる.
1575 天正3

この年以降,非本願寺系寺院,北庄にさかんに移転・建立される〔越前国名蹟考など〕.
1576 天正4 1
柴田勝家,丹生郡織田寺社に「刀さらえ」を命じる〔劒神社文書〕.
1576 天正4 2 16 勝家,丹生郡大谷寺に立退きの寺僧の立還・寺内裁許を禁止〔越知神社文書〕.
1576 天正4 2
織田信長,安土城を築く.
1576 天正4 3 1 勝家,「国中江申出条々」を定める〔野村志津雄家文書,大連三郎左衛門家文書〕.
1576 天正4 5 2 府中三人衆,赤座吉家に所領を打ち渡す〔松雲公採集遺編類纂〕.
1576 天正4 5 23 佐久間盛政,高田派専修寺門徒に与同を求める〔法雲寺文書〕.
1576 天正4 5 24 府中辺りで一揆おこる.
1576 天正4 6 28 勝家,本願寺派から「新帰参」した高田門徒の他宗派への「相談」を禁じる〔称名寺文書〕.
1576 天正4 6
勝家,愛宕社に愛宕山(足羽山)を寄進〔坂上文書〕.
1576 天正4 7 23 佐々成政,諏訪三郎に知行100石を打ち渡す〔佐野てる子家文書〕.
1576 天正4 9 11 勝家,北庄に楽市令を発する〔橘栄一郎家文書〕.
1576 天正4 9 28 丹生郡平等村など,劒社末社領の指出を勝家に提出〔劒神社文書〕.
1576 天正4

この年柴田勝豊,丸岡城を築く./金森長近,大野城を築く.
1577 天正5 2 24 柴田勝家,丹生郡天谷村の検地坪付を打ち渡す〔野村志津雄家文書〕.
1577 天正5 3 1 織田信長,書状で加賀への出陣を告げる〔森田正治家文書〕.
1577 天正5 3 27 勝家,織田寺・劒社に社領を打ち渡す〔上坂一夫家文書〕.
1577 天正5 4 7 勝家,新開一衛門尉に坂井郡王見郷宮森村の200石を与える〔片岡五郎兵衛家文書〕.
1577 天正5 4 8 勝家,検地に際し劒社に1588石余を寄進〔劒神社文書〕.
1577 天正5 4 15 武藤舜秀,敦賀川船衆に川船商売を安堵〔道川文書〕.
1577 天正5 4
三国の森田三郎左衛門,信長の能登出兵に船を提供〔森田正治家文書〕.
1577 天正5 6 12 原政茂,大野郡洪泉寺領を新寄進地とする〔洪泉寺文書〕.
1577 天正5 6
信長,安土城下を楽市とする.
1577 天正5 7 20 織田寺・劒社,信長の家臣菅屋長行に社領の再検地中止を訴える〔劒神社文書〕.
1577 天正5 7 21 信長,三国の森田三郎左衛門らに越後・越中・能登の船の三国への入船禁止を命じる〔森田正治家文書〕.
1577 天正5 9 10 粟屋長景と市村八郎右衛門尉,三方郡日向浦と早瀬浦の網場争論の裁決を伝える〔渡辺六郎右衛門家文書〕.
1577 天正5 9 23 勝家,手取川の夜戦で上杉謙信軍に大敗.
1577 天正5 11 8 柴田義宣,大野郡谷城の一向一揆を攻撃中に討死したと伝えられる〔福井県大野郡誌〕.
1577 天正5 11 21 勝家老臣,丹生郡田中郷京方の長百姓と小百姓の争論を裁定〔木下喜蔵家文書〕.
1577 天正5 11 28 信長,土御門久脩に若狭当知行分を安堵〔土御門家文書〕.
1577 天正5 12 5 溝口秀勝,白井民部丞に遠敷郡賀茂庄内の領知などを安堵〔白井家文書〕.
1578 天正6 1
敦賀斤屋惣中,川舟衆を訴える〔道川文書〕.
1578 天正6 3 5 佐々成政,今立郡大滝の寺庵・給人で名請地を持つ者へ百姓並の諸役を課す〔三田村士郎家文書〕.
1578 天正6 3 19 柴田勝家,十郷井水普請に関する条々を出す〔大連彦兵衛家文書〕.
1578 天正6 3
勝家,九頭竜川に舟橋を架ける〔片聾記〕.
1578 天正6 5 6 幸若の幸春大夫,岡崎城で舞う〔家忠日記〕.
1578 天正6 9 3 金森長近,大野恵光寺に敷地を与える〔恵光寺文書〕.
1578 天正6 11 7 原政茂,大野郡洪泉寺に制札を与える〔洪泉寺文書〕.
1578 天正6 11
丹羽長秀,正親町天皇の勅命に従い遠敷郡羽賀寺の所領支配を承認〔羽賀寺文書〕.
1579 天正7 4 23 丹羽長秀,三方郡丹生浦の山海境を保証〔丹生区有文書〕.
1579 天正7 4 25 柴田勝家,織田寺社に年貢未納者の作職取上げを認める〔劒神社文書〕.
1579 天正7 7
武藤舜秀死去,子康秀が遺領を継ぐ〔信長公記,当代記〕.
1579 天正7 8
勝家,加賀に侵入.
1579 天正7

この年柴田勝安,滝波川・野津俣川上流の一向一揆をほぼ鎮圧〔福井県大野郡誌〕./大町専修寺賢会の子唯賢,大野郡中野村に帰住して専修寺相続権を主張.
1580 天正8 3 9 柴田勝家,今立郡五分市の鋳物師に諸役なしで北庄に屋敷を与える〔松村文書〕.
1580 天正8 3 16 広橋兼勝,越前左史に鞍谷轆轤師の諸役免除を命じる〔大河内区有文書〕.
1580 天正8 (3) 5 顕如,織田信長と和睦〔本願寺史〕.
1580 天正8 5 18 ルイス・フロイス,北庄城の勝家を訪ねる〔ルイス・フロイス書簡〕.
1580 天正8 6 24 信長,丹羽長秀に若狭の廻船の加賀などの敵地への航行禁止を命じる〔溝口家文書〕.
1580 天正8 10 13 山県秀政,妙楽寺僧を遠敷郡常満保福同名の名主職に補任〔妙楽寺文書〕.
1580 天正8 11 21 教如,若狭の惣坊主門徒中に石山退城を報じる〔証明寺文書〕.
1580 天正8 11
勝家,加賀をほぼ平定.
1580 天正8

この年柴田勝安,勝山城を築く〔福井県大野郡誌〕./勝家,芝原金屋鋳物師中に判物を与える〔中世鋳物師史料〕.