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今月のアーカイブ

 Archive of the Month


平成19年11月展示
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「逃散・身売り・なりわい」
−江戸時代はじめの漁村資料から−
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御請状之事
庄屋を逃散させないことを請け負った文書 玉村九兵衛家文書D0075-00054
逃散が判明した1644年(正保1、申年)5月に作成されたものと考えられます。
ひとり残っていた米ノ浦の庄屋彦左衛門を「かけおち」(逃散)させないことを、
近隣の厨浦と高佐浦の百姓が福井藩の役人に対して請け負っています。

【翻刻文】
     御請状之事
一今度米之浦百性共かけをち(欠落)仕候而、
 在所ニ 彦左衛門壱人罷有候付、彦左衛門
 うけ(請)人ニ 我等共罷立申所実正也、*自然
 後日ニ 彦左衛門かけをち仕候者、五日之内ニ 
 尋出シ、急度指上ケ可申候、若ちゝ(遅々)仕
 候者、何様ニ も我々方へ御存分次第ニ 
 可被仰付候、其時一言之申分御座
 有間敷候、為後日御請状仕、
 指上ケ申所仍而如件
   (正保一)
   申五月十二日   くりや
                  与兵衛(印)
               高佐浦
                  茂兵衛(印)
     坂井勘左衛門様

  *「自然」は、もしも、万が一の意。
逃散の背景1(左側)逃散の背景1(右側)
米ノ浦の内部での争い 玉村九兵衛家文書D0075-00001  *画像をクリックすると拡大します。
逃散の背景となった浦内のようすがうかがえる文書です。
詳細はわかりませんが、1637年(寛永14)ころ、米ノ浦の小百姓と庄屋彦左衛門との間で、
田畑の年貢の割方・村負債・夫銀の負担方法などをめぐって争いが起こっていました。
これは、その解決のために小百姓が近隣の村に仲裁を依頼し、定めた事項を記したものです。

【翻刻文】
 今度米浦ニ 出入候て、小百性衆二皆(階)堂
 迄罷出候所ニ 、跡々吸(扱)申定之事
一万をうさい(負債)ハ皆月払
一畑ハもち/\ニ 、上下打高ニ ならるべく可被成候か
                 うすか谷
一彦左衛門尉殿田の儀ハかにはたけ    はたけ
                 ひん谷右三ケ所ハ なみ
一かみせハ田なみ也
一残而 惣々ハ皆田なみ
一畑上中下あらそい有ハ替合可申候
一家敷ハ高
一やまが山ケも高
一ふ(夫)銀ハ、高半分・家半分ニ可仕候也
一それよりよ(余)のをさいハ高ニ 
一上中下の斗代ハ水帳次第ニ可仕候
一御公方様之諸やく万事御用之
 儀ハ、五くみ中として御地(馳)走可申上候也
一埋はゝハ高ニ 
一かいつかの儀ハ一年ニ 壱匁つゝ
 右之条々より外ハ少もいらん(違乱)有間
 敷候、此度定候ハヽ永たい(代)いらん
 かへ合有間敷候、仍而如件
  (一六三七)  (二カ)
   寛永拾四年丑□月廿四日
                 二皆堂村
                  甚右衛門尉(印)
   米浦彦左衛門尉殿  六ろし村
              参   前右衛門尉(略押)
                   大郎右衛門尉(略押)
                 牛房大良村
                   百左衛門尉(略押)
                 米浦
                   慶言(略押)
                   大進(花押)
米ノ浦の逃散を題材にした脚本『逃散』
1955年(昭和30)の全国青年大会(日本青年団協議会、文部省等主催)で上演され、
最優秀賞を受賞しました。
著者の坪川健一(1916-2006)は、劇団を「自由舞台」主宰、だるま屋百貨店創業者・坪川信一の長男。
福井県立図書館蔵

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