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「文書館で初もうで−寺社名所案内図」 平成20年12月28日(日)〜平成21年1月28日(水) 文書館閲覧室 *終了しました。 江戸時代から大正期に奈良や伊勢、白山、京都の本願寺・長野の善光寺などへ 参詣(さんけい)した「おみやげ」にもとめられた名所案内図を紹介します。 いずれも県内に残されていたもので、見どころやその位置関係、 各地から道のりやルートの概略がわかりやすく示されています。 だれでも読めるようにひらがなで記された素朴な木版絵図や 多色刷りの美しいイラストマップで「初もうで」を楽しみませんか。 ![]() 『(牛に引かれて善光寺参りの図)』 勝見宗左衛門家文書 B0037-00614 【拡大図・解説へ】 ![]() 『北国白山天嶺之図』 部分 江戸時代 勝見宗左衛門家文書 B0037-00623 【拡大図へ】 中央の御前(ごぜん)峰(がみね)、左の大汝(おおなんじ)峰(がみね)、右の別山の三峰からなる山頂と、 そこに至る登山道である禅定(ぜんじょう)道(どう)を描いています。 江戸時代、白山の「天(てん)嶺(れい)」(山頂付近)は平泉寺の境内とみなされ、 同寺の管理下にありました。この絵図は、仏画師中西誠応が描き、平泉寺の名で出版されたものです。 1830年代にあいついで白山に登った福井藩士・加賀成教と高田保浄は、 麓(ふもと)市ノ瀬の平泉寺役所で「白山図」が12文で販売されていたと記しています (『白山全上記』『続白山紀行』)。 ![]() 『増補高野山独案内』 部分 江戸時代 勝見宗左衛門家文書 B0037-00602 【拡大図へ】 高野山の麓にある学文路(かむろ)村仁徳寺が出版していた案内図の奥の院部分です。 奥の院近くの「みめうのはし」(御廟橋)と「なかのはし」(中の橋)の間の西側には、 笏谷石で作られた結城秀康とその母お万の方の霊屋(重要文化財)があります。 この絵図は、西側の金剛峯寺とその周辺の坊をとりわけ詳細に描いていますが、 「大はし」(一の橋)から奥の領域の描写は粗く、この霊屋は確認できません。 ![]() 『伊勢参宮名所一覧』 部分 1856年(安政3) 勝見宗左衛門家文書 B0037- 00607 【拡大図へ】 海(伊勢湾)側からみて、伊勢の見どころを鳥瞰的に描いています。 右下から左回りに宮川、外宮、宇治山田から内宮入口の宇治橋に至る街道の賑わい、 内宮から鳥羽の城下、初日の出の名所二見浦まで盛り込んだ多色刷りの美しい絵図です。 ![]() 『ならめいしょゑづ』 明治期 勝見宗左衛門家文書 B0037-00604 【拡大図へ】 江戸時代半ばから昭和初期まで大仏殿近くで絵図を出版・販売していた絵図屋庄八のロングセラーです。 東大寺・興福寺・春日大社・元興寺など奈良の中心となる寺社が描かれています。 「ならめいしょゑづ」は、幕末から明治期にかけて修正を加えながら再版されていました。 よくみるとこの絵図は、下部中央に元興寺の焼け跡「くハんごうじやけ跡」(1859年焼失)が描かれ、 また興福寺の左上部分に「奈良県」とあることから、 ここに県庁が置かれた1871年から76年ころ(明治4-9)のようすを描いたものです。 ![]() 『信濃国善光寺略絵図』 明治期 飯田広助家文書 G0024-01241 【拡大図へ】 境内地の入り口から本堂まで続く石畳、両脇に連なる宿坊が詳細に描かれています。 版元は善光寺門前町の七泉堂です。手前の往来に人力車が描かれていることから、明治に入ってから作られたものです。 ![]() 『近畿を中心とせる名勝交通鳥瞰図』 部分 1926年(大正15)年 桜井市兵衛家文書 N0055-01065 【拡大図へ】 この絵図を描いた吉田初三郎(1884-1955)は、大正から昭和にかけて、 全国各地の観光マップを多数制作した人気絵師です。大阪毎日新聞附録。 ポスターpdf:254KB |
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