「唐藍(プルシアンブルー)製法、おしえます」
−鯖江藩大庄屋への手紙−

手紙に入っていた青いかたまり 飯田広助家文書 当館寄託
平成22年4月30日(金)〜5月26日(水)
*終了しました。
文書館閲覧室
京から鯖江藩の大庄屋にあてられた手紙から、青いかたまりが出てきました。
研究者*の分析から、これは合成顔料のプルシアンブルーで、
この手紙が書かれた安政年間には純度は低いものの国内で合成できたことが確認されました。
手紙は「唐藍(からあい)」(プルシアンブルー)を鯖江の産物にしてはどうかと売り込むもので、
サンプル付きでその製造方法が解説されています。
この手紙とそこに入っていた青色顔料を、
プルシアンブルーが広く用いられた時期の浮世絵等とともに紹介します。
*勝盛典子・朽津信明「近世日本におけるプルシアンブルーの受容」
『神戸市立博物館研究紀要』26、2010年3月

プルシアンブルー(顔料)
天然顔料よりも安価で色あせないプルシアンブルーは、18世紀初めにヨーロッパで合成された青色顔料で、
ベロ藍、唐藍(からあい)などと呼ばれました。
長崎貿易を通じて輸入され、1830年代以降には、広く浮世絵や絵馬、絵草紙などに使用されました。
唐藍製法売込みの手紙(裏・表) 飯田広助家文書G0024-06476

唐藍製法売込みの手紙(冒頭部分) 飯田広助家文書G0024-06476
手紙の内容や読み方は、平成17年の古文書講座で紹介しました。こちらをご覧ください。
飯田家は、1828年(文政11)から安政期(1854-60)にかけて鯖江藩大庄屋(東俣組37か村)を務めました。
鯖江藩主 間部詮勝が幕府で要職を歴任し財政がひっ迫する天保期以降、
海産物の専売や紬・糸・木綿などの産物を領内や近隣で買い集め、販売する産物会所の運営にかかわりました。
差出人の吉川左右祐については、残念ながら詳しいことはわかりません。
大和新庄藩主永井直幹(なおもと、1829-82年)の家来で、
手紙の内容からかつては鯖江藩につかえていた人物と考えられます。
また、手紙には日付しかありませんが、「永井若狭守」を手がかりに、
おおよそ嘉永3年から安政5年(1850-58)までの間のものと推定されます。

鯖江産物の印鑑 飯田広助家文書G0024-00024-2、03130
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東海道五十三対 吉田 (右は拡大部分)
三代目豊国作 伊勢市版 1845年(弘化2)頃
「東海道五十三対」は東海道の各宿駅にちなむ物語や伝説、名物などがを描かれたシリーズです。版元のうち、「伊勢市」のものは現在も版木が残っています。
その版木の分析により、青の部分にプルシアンブルーが使用されたことや、緑の部分にプルシアンブルーと黄色が混ぜられて使われたことが確認されています。
松田三左衛門家文書(当館蔵) A0169-03426
国立歴史民俗博物館編『錦絵はいかにつくられたか』2009年
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