今月のアーカイブ Archive of the Month
福井県文書館では、月替わりで収蔵資料や館の活動を紹介する展示を行っています。
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閲覧室にお立ち寄りください

「ふくい人はみた! -異国 災害 大事件-」 2016年11-12月 福井県文書館月替展示

西南戦争 明暦の大火 大塩平八郎
(左) 「西郷隆盛大激戦ニ及之図」 (右上)「むさしあぶみ」 国立国会図書館蔵
(右下) 「出潮引汐奸賊聞集記」 大阪歴史博物館蔵 

平成28年10月28日(金)~12月21日(水)
文書館閲覧室



福井に遺されたローカルな資料には、
遠く離れた江戸・大坂の大事件やその風聞を記録したものや、
異国まで見通すグローバルな視野をもつものがあります。

今回の展示では、江戸時代から幕末・維新期の「ふくい人」の目を通してみた、
さまざまな出来事を紹介します。


●○ 異国 ○●
異国をみた男たち
年未詳 「韃靼漂流記(異国物語)」
年未詳 「韃靼漂流記(異国物語)」 竹内誠氏蔵

1644年(正保元)、坂井郡三国浦新保の船頭竹内藤右衛門ら58名の
韃靼(だったん、中国東北部)漂流の記録です。
漂着後も困難に遭いながらも一行は万里の長城を越え、北京に連行されますが、
偶然にも目の当たりにした明から清への王朝の興亡が記録されています。
また韃靼・北京・日本の社会・風俗の違いを活写しています。


⇒展示パネル“異国”(韃靼漂流者供養碑、海陸御固泰平鑑)の紹介はこちら 

●○ 災害 ○●
公方様は御無事、安心せよ ―明暦の大火
1657年1月22日 「酒井忠勝書下」 小浜市教育委員会蔵 酒井家文庫
1657年1月22日 「酒井忠勝書下」 小浜市教育委員会蔵 酒井家文庫 O0057-00670

1657年(明暦3)、江戸城や多数の大名屋敷、江戸市街地の大半を焼失した、
いわゆる「明暦の大火」が発生しました。
江戸にいた小浜藩主酒井忠勝は、藩本屋敷・下屋敷を焼失した被害の状況をいち早く
小浜に伝えるとともに、江戸城は焼けたものの将軍家綱は無事であることなどを記しています


越前でも浅間山噴火の影響が…
「乍恐書付を以奉願上候(大悪作ニ付御慈悲之程願)」
「乍恐書付を以奉願上候(大悪作ニ付御慈悲之程願)」 山岸善四郎家文書 F0009-00053

1783年(天明3)7月、信濃の浅間山が噴火し、天明の大飢饉の一要因になります。
資料はこの年の10月、大野郡・吉田郡の村々が作成した文書の写で、今立郡に残されたものです。
「浅間山鳴動・砂降」から始まる「冷気」「大あられ」など異常気象による
田畑の不作・悪作を訴え、善処を願っています。


⇒展示パネル“災害”(明暦の大火の惨状、浅間山の噴火)の紹介はこちら 

●○ 大事件 ○●
幕府転覆未遂事件 ―由比正雪の乱
1651年7月27日 「酒井忠勝書下」 小浜市教育委員会蔵 酒井家文庫
1651年7月27日 「酒井忠勝書下」 小浜市教育委員会蔵 酒井家文庫 O0057-00609

1651年(慶安4)、幕府転覆と牢人救済を掲げた軍学者由比正雪が
牢人を集めて反乱を企てますが、未遂に終わります。
当時大老として幕閣の中枢にあった小浜藩主酒井忠勝は、この一件をいち早く小浜に伝え、
反乱の中心となりうる牢人に対しいっそう警戒するよう、重臣たちに説いています。


世間に衝撃 ―大塩の乱
年未詳 「大坂大乱之一件左之通」
年未詳 「大坂大乱之一件左之通」 樫尾吉右衛門家文書 E0122-00099

1837年(天保8)に起きた大塩平八郎(元大坂町奉行所与力)の乱に関する資料です。
資料には「怪しき出火」から始まった反乱の一部始終のほか、大塩平八郎の役人としての
業績や人物評、乱の原因などについても記しています。
幕府の役人であった人物が主導したこの反乱の、インパクトの大きさがうかがえます。


天狗党がやってきた!
1864年 「筆叢拾遺(常野脱走浪徒之一件)」 松平文庫
1864年 「筆叢拾遺(常野脱走浪徒之一件)」 松平文庫 福井県立図書館保管 A0143-00544

水戸藩重臣の武田耕雲斎を首領とする天狗党は、尊王攘夷を唱え、
約800名の将兵を率いて京都をめざし中山道を進み、1864年(元治1)12月に越前に入りました。
木ノ芽峠に通じる南条郡二ツ屋には福井藩の番所があり、敦賀に向かう天狗党を注視していました。
資料は、通過する天狗党の人数と軍装を番所が報告したものです。


小浜でも御札(おふだ)が降った?
江戸後期 「当所珍事御触・大飢饉仕法立書留日記」
江戸後期 「当所珍事御触・大飢饉仕法立書留日記」 小浜市立図書館(団家旧蔵)文書 O0111-00005

小浜の町人が残した日記体の資料です。
1868年(慶応4)、京都周辺で伊勢神宮御札・諸神などのほか金銀などが降ったことを受けて、
11月、小浜藩から、降った物があれば届け出ることなどの触が出されたことを記しています。
実際同月14日、小浜でも「御祓(おはらい)様」が降ったものの、混乱はなかったことを伝えています。


(この資料は「若狭国小浜町人の珍事等書留日記」として活字化されています。詳しくはこちら

西郷らの動向は?
1877年1月25日 「杉田定一書簡」
1877年1月25日「杉田定一書簡」 池内啓収集(杉田家旧蔵)文書 当館蔵 A0174-00156

杉田定一が東京で新聞記者を勤めていた1877年(明治10)1月の父仙十郎宛て書簡です。
翌月の西南戦争の直前で、地租改正反対一揆や西郷らが挙兵し上京するなどの風聞を伝えています。
この書簡を送ったあと、土佐に赴いた杉田は、板垣退助らと交わり、
自由民権運動に身を投じることになります。


⇒展示パネル“大事件”(西南戦争の錦絵、ええじゃないかの乱舞の様子など)の紹介はこちら 

●○ 世相 ○●
世相を斬る江戸の「しゃれ」
年未詳 「文化三寅年代記」
年未詳 「文化三寅年代記」 土屋豊孝家文書 当館寄託 C0044-00778

ロシア船の樺太・択捉来航から「人面之犬之子」まで、江戸の人びとを驚かせた
1807年(文化4)のできごとや事件をまとめたもので、北陸道沿いの村に伝えられた資料です。
世相を鋭く皮肉る「丸尽くし」というしゃれの文芸も記録されており、江戸の庶民文化の一端がうかがえます。


●○ 展示室内 ○●
水戸天狗党についてのタペストリー

ガイドペーパーpdf:560KB

ポスターpdf:359KB

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